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岐阜地方裁判所 昭和52年(ワ)293号 判決 1984年5月29日

目次

当事者

主文

事実

(当事者の求めた裁判)《省略》

第一 請求の趣旨

第二 請求の趣旨に対する答弁

(当事者の主張)

請求原因

第一当事者<省略>

一 原告ら

二 被告

第二本件災害の発生

一本件堤防並びに本件破堤箇所及びその付近の状況<省略>

1 本件破堤箇所及びその付近の概況並びにその由来

2 本件堤防の状況及びその築堤の経過

(図1)<省略>

二本件破堤の経過

1 気象の概況

2 本件破堤箇所付近の状況<省略>

3 破堤経過<省略>

4 破堤後の状況<省略>

三破堤原因

1 破堤原因究明についての基本的考え方<省略>

2 平面図形上の根拠<省略>

(図2)<省略>

3 断面図形上の根拠<省略>

4 周辺調査からの根拠<省略>

5 土質力学上の根拠<省略>

(図3の1〜2)

(図3の3)<省略>

(図4の1〜2)

(図5の1)

(図5の2)<省略>

(表1)<省略>

6 模型実験上の根拠<省略>

(図6)<省略>

7 新旧両堤の断面構造<省略>

(図7)

8 パイピングの発生とその破堤への影響

9 破堤原因<省略>

第三河川の管理の瑕疵<省略>

一 主位的主張

1 国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵

2 「一応の推定」の理論

二 予備的主張 その一

1 本件堤防に存在した欠陥及び危険性

(一) 丸池の存在に基づく欠陥

(二) 新堤築堤工事に基づく欠陥

(三) 地盤に関する欠陥

(四) 防災上の危険性

2 通常有すべき安全性

(表2、表3)

(図8、図9)

3 河川の管理の瑕疵

三 予備的主張 その二

第四損害<省略>

一 損害の概要

1 浸水状況

2 家庭生活上の利益に対する損害

3 事業上の損害

二 損害の特殊性

三 損害額算定方法及び各原告らの損害

1 家屋の損害

2 家財の損害

3 雑損

4 慰藉料

5 農業損害

6 商工業損害

7 弁護士費用

第五結論

請求原因に対する認否及び反論《省略》

第一請求原因第一について

第二請求原因第二について

(図10)(図11の1〜3)

(図12、図13)<省略>

第三請求原因第三について

(図14)<省略>

第四請求原因第四について

(表4、表5、表6、表7)<省略>

被告の主張

第一河川管理責任

一 営造物の設置又は管理の瑕疵について

二 河川堤防の設置又は管理の瑕疵について

第二我が国の治水行政の体系

一 治水行政の基本理念

1 国土条件と治水

2 治水事業の歴史的沿革

3 治水事業の目標の限界

4 治水事業が対象とする洪水

二 治水行政の方法と現状

1 工事実施基本計画

2 治水行政の現状

三 堤防の整備

1 堤防の沿革

2 堤防の機能と構造

3 堤防の機能の検証

4 堤防整備の方針

第三長良川の概要

一 長良川流域の概要

二 河道の変遷

三 長良川の洪水の歴史

四 長良川の改修

1 計画高水流量の変遷と改修計画

2 改修工事の実施

(表8)

3 堤防の管理

第四本件災害発生の経過

一 気象の概況

(図15)

二 降雨

1 降雨量

(表9)<省略>

2 降雨の継続時間

(表10)

三 洪水の状況

(図16)

四 本件破堤に至るまでの経過

(図17)<省略>

第五本件堤防の欠陥の不存在

一 本件破堤箇所の改修

二 本件堤防の築堤

1 旧堤

2 調査

3 築堤準備

4 築堤方法

5 堤防法線

三 本件堤防の構造

1 堤防の構造

2 構造令からみた本件堤防

四 本件堤防の地盤

五 本件堤防が有していた機能

第六本件破堤の生起機構とその予測・回避不可能性

一 本件破堤の生起機構

(図18)<省略>

1 破堤の形態とその要因

2 堤防の安定解析

(図19)<省略>

3 計算結果

(表11)<省略>

(図20)<省略>

二 本件降雨・洪水の異常性と予測不可能性

1 気象現象の異常性

2 降雨量

(表12)(表13)

3 堤体への浸透作用

(図21、図22、図23、図24、図25)(表14)

4 堤体上への降雨

(図26、図27、図28)

5 堤体損傷の比較

6 本件降雨・洪水の異常性に関する原告らの反論について

7 本件洪水の予測不可能性

三 地盤の性質の予測不可能性

四 河川改修の整備目標からみた本件破堤の回避可能性

(図29)

第七本件堤防の通常有すべき安全性について

被告の主張に対する原告らの反論《省略》

第一平場の有無について(被告の主張第五の三1(一)及び(二)について)

第二被告の主張する破堤原因論(被告の主張第六の一)について

一 被告が用いた手法について

二 難透水性層の不連続について

第三本件降雨・洪水の異常性(被告の主張第六の二)について

(表15)<省略>

第四地盤の性質の予測不可能性(被告の主張第六の三)について

(証拠)《省略》

理由

第一 本件災害の発生

(図30)

第二 河川管理の瑕疵に関する主位的主張について

一 瑕疵の「一応の推定」について

二 瑕疵の推定の要件について

1工事実施基本計画及び計画高水位の意義

2瑕疵推定の要件

三 原告ら主張の瑕疵推定の可否について

第三 河川管理の瑕疵に関する予備的主張について

一 河川管理の瑕疵の判断基準

二 長良川の概要

1長良川流域の概要

(一) 長良川流域

(二) 地形的特色

(三) 降水状況

2長良川の洪水及び治水事業

(一) 江戸時代以前

(二) 明治時代以降

(1) 明治改修

(2) その後の戦前の改修

(3) 戦後の改修

(4) 現在の改修事業

3長良川の治水事業の水準

三 本件降雨・洪水の状況及びその規模

1本件降雨

(一) 気象状況

(二) 本件降雨の状況

(表16)

(三) 既往降雨との比較

2本件洪水

(一) 本件洪水の状況

(二) 既往洪水との比較

(三) 高水位の継続と堤体上の降雨の相関

3本件降雨・洪水の規模

四 本件堤防の築堤管理状況と強度

1本件堤防の改修の経過

2本件堤防の構造

(図31、図32)

(一) 本件堤防の形状

(二) 平場の有無について

3本件堤防の管理状況

(一) 堤防管理の手法

(二) 本件堤防の管理の実態

(三) 本件堤防の被災状況及び損傷等の発生の有無

4本件堤防の強度

(一) 構造令から見た本件堤防

(二) 洪水歴から見た本件堤防

(三) 本件堤防の強度

五 本件破堤の状況とその原因

1本件破堤の状況

(一) 破堤時までの状況

(二) 破堤の経過

2本件破堤の原因

(一) 本件破堤の形態

(二) 浸潤による破堤をもたらす諸要因

(三) 浸潤線の上昇に寄与する諸要因

(四) 堤防の安全に係る諸要因

(五) 原告らの主張する破堤原因論(丸池原因説)について

(六) 原告らの主張するその余の破堤原因論について

3破堤に係る諸要因とその寄与度

六 河川管理の瑕疵の有無について

第四 結論

別紙目録

請求金額一覧表《省略》

原告目録《省略》

原告別主張損害一覧表《省略》

原告

清水広

外八一二名

右原告ら訴訟代理人

畠山国重

小林浩平

下村文彦

石垣智康

宮下明弘

小川秀史郎

山田裕四

高橋郁雄

宮下啓子

被告

右代表者法務大臣

住栄作

右訴訟代理人

伊藤好之

右指定代理人

岡崎真喜次

外二四名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)《省略》

第一  請求の趣旨

第二  請求の趣旨に対する答弁

(当事者の主張)

請求原因

第一  当事者<省略>

第二  本件災害の発生

一本件堤防並びに本件破堤箇所及びその付近の状況<省略>

二本件破堤の経過

1気象の概況

(一) 気象状況

昭和五一年九月四日午後三時にカロリン群島付近で発生した台風一七号は、発達しながら北西進し、同月八日午前九時には南大東島付近に達し、中心気圧九一〇ミリバールとなり大型の非常に強い台風となつた。台風はこのころが最盛期であつた。一方、同日午後から九日朝にかけて沿海州付近を北東進した低気圧に伴う前線は、北海道西岸から南に延びて西日本に達していた。

台風は同月九日午前九時沖縄付近を通過するころから転向して向きを北に変えて進んだが、その後同月一〇日から一二日にかけて速度が遅くなり、九州の南西海上で大型の強い勢力と雨雲を保持したまま、ほぼ停滞状態となつた。これに伴い、前線も同月一〇日から一二日まで西日本から東日本にかけて停滞した。

台風は同月一二日午後になつて北北東に動き始め、同月一三日午前一時四〇分長崎市付近に上陸後、やや衰えながら山陰沖を北東に進み、同月一四日午前六時、北海道西方海上で温帯低気圧となつた。前線も同月一三日には南東海上に移動したが、台風周辺の雲域は相変わらず中部地方を覆い、同月一四日早朝には台風の衰弱した低気圧から延びる前線が中部地方を南下した。(以上の気象現象によつてもたらされた降雨・洪水を、以下本件降雨・洪水という。)<中略>

三破堤原因

1〜7<省略>

8パイピングの発生とその破堤への影響

(一)  <省略>

(二)  本件破堤箇所には次のような事実が存在し、発生している。

(1) 本件破堤箇所付近は、低湿地帯に該当し、丸池は過去の破堤によつて形成された落掘であると推定される(前記一1(二))こと、本件破堤後の地質調査の結果によると本件破堤箇所付近の地盤にはTPマイナス三メートルから六メートル下に透水性の砂層が存在していることなどから、本件破堤箇所付近は前記(一)において指摘されるような漏水を発生させやすい地盤構造を有していた。

(2) 新堤築堤後も丸池が残されたことにより、前記(一)に述べたパイピングを起こしやすい状態がそのまま放置されたのみならず、丸池においては、その周辺部に比べ土の代わりに池水があるだけ水頭損失が小さくなり、しかも、丸池が堤防に接して存在することから浸透径路長が短い分、水頭損失が小さくなり、一層パイピングを発生させ、集中させる結果となつた。

(3) 右(1)、(2)の事実と、新堤築堤時に丸池の水をポンプで排水しようとしても排水できなかつたこと(前記一2(二)(2))、昭和四一、二年ころ、丸池でかいどりを行つた際、八馬力の二台のポンプで約二八時間連続して排水したが、排水しきれなかつたこと、丸池の東北寄りの部分には直径七ないし八メートルの範囲で藻も生えず、冬でも直径約六メートルの範囲で氷の張らない部分があり、増水期には直径三〇センチメートル程の水が噴き出ていたこと(前記一2(四))から丸池には本件破堤前に既にパイピングが発生していたものと推定できる。

(4) 本件破堤前に池の水が「ゴボゴボ動いていたこと、水の盛上がりや渦巻現象があつたこと(前記二3(六))は、右(1)ないし(3)の事実からして、河川水が堤体基盤の土砂とともにパイピングによつて丸池内へ噴出したボイリング現象であると考えられる。《以下、事実省略》

表1堤体安全率の計算結果<省略>

表4木造家屋経年減点補正率基準表<省略>

表5損害率の比較<省略>

表6床上浸水位の異なる原告番号<省略>

表7損害表記載の住所と住民基本台帳等の異なる原告<省略>

表9本件降雨の降雨量

表11安定計算結果に基づく最小安全率一覧表<省略>

表15昭和三六年六月降雨の日雨量<省略>

表14 洪水の再現期間

継続時間

浸透能ファクター

浸潤域ファクター

洪水名

継続時間

再現期間

洪水名

HT

再現期間

洪水名

H3T

再現期間

1

昭和年月

51.9

hr

87

1381

昭和年月

51.9

m・hr

397

474

昭和年月

51.9

m3・hr

9779

302

2

36.6

42

43

36.6

183

30

36.6

4273

33

3

47.7

28

10

47.7

113

8

34.9

3109

16

4

28.6

25

7

34.9

103

7

35.8

2478

10

図2丸池と破堤状況との関係<省略>

図3の3(堤体断面図)<省略>

図5の2一次すべり面(円孤すべり面でおきかえたもの)<省略>

図61/50横型寸法<省略>

図12厚さ1〜2mの「ナメ泥」とする上部粘土性土層に乗る新堤盛土の状況図<省略>

図13水面下7mの丸池池底の状況<省略>

図14堤防形状<省略>

図17破堤箇所の堤防状況図<省略>

図18破堤原因の検討手順(建設省報告書、2頁、図1―2)<省略>

図19模式断面図<省略>

図20安定計算の結果(難透水性層不連続、堤体上への降雨の影響を考慮した場合)<省略>

表2 明治29年9月降雨の降雨量

(単位:ミリメートル)

観測所名

所在地

3日

4日

5日

6日

7日

8日

9日

10日

11日

12日

総雨量

岐阜市

岐阜市加納

0.2

34.6

10.4

323.7

151.4

225.2

109.8

107.7

51.7

1,014.7

笠松

羽島郡笠松町

0.4

23.0

14.2

326.0

(363.4)

高須

海津郡高須町

高田

養老郡養老町高田

7.3

42.0

2.2

261.6

223.0

118.5

148.8

94.7

57.0

955.1

垂井

不破郡垂井町

12.7

63.5

76.2

269.2

106.7

114.3

181.1

163.8

68.6

1,056.1

関ケ原

不破郡関ケ原町

13.3

23.7

1.5

318.2

245.5

75.6

162.8

153.3

113.3

1,107.2

大垣

大垣市江崎町

揖斐

揖斐郡揖斐川町

93.8

28.1

292.0

173.5

82.4

117.1

81.1

80.0

948.0

徳山

揖斐郡徳山村

18.0

37.2

41.7

231.2

302.3

83.7

250.3

97.7

45.0

52.3

1,159.4

北方

本巣郡北方町

0.5

46.8

5.0

317.0

16.0

15.1

84.6

120.0

49.0

654.0

長嶺

本巣郡根尾村長嶺

115.9

95.6

55.3

329.4

186.3

114.4

262.7

122.5

62.1

1,344.2

高富

山県郡高富町

56.4

13.9

224.8

148.6

194.3

102.9

85.3

50.5

876.7

葛原

山県郡美山町葛原

126.0

20.0

334.1

163.1

146.0

154.0

164.5

59.0

1,166.7

上有知

関市上有知

68.3

50.8

178.5

144.8

156.2

79.5

71.6

66.0

815.7

金山

益田郡金山町

18.4

29.0

64.8

96.1

167.0

90.8

24.3

45.8

536.2

八幡

郡上郡八幡町

0

78.3

57.7

175.2

126.0

137.0

96.3

90.5

54.0

815.0

白鳥

郡上郡白鳥町

0

59.1

17.3

186.4

114.2

99.7

177.4

135.4

51.9

841.4

注)所在地は現在の行政区画による

表3 昭和36年6月降雨の降雨量

(単位:ミリメートル)

観測所名

所在地

23日

24日

25日

26日

27日

28日

29日

30日

総雨量

岐阜

岐阜市

18

60

92

260

101

22

58

6

617

白鳥

郡上郡白鳥町

31

47

160

164

101

40

89

50

682

八幡

郡上郡八幡町

50

58

87

204

97

30

181

85

792

萩原

益田郡萩原町

41

57

31

121

127

73

190

104

744

乗鞍岳

大野郡

42

35

45

167

137

111

137

74

748

三界山

恵那郡

17

65

23

124

191

134

214

38

806

御嶽山

長野県

不明

66

73

191

195

112

226

187

(1,050)

恵那山

長野県

不明

35

30

110

429

135

104

15

(858)

表10 本件降雨の降雨時間及び降雨量

〔建設省八幡雨量観測所観測・単位 時間

ミリメートル〕

区分

降雨時間

降雨量

降雨時間

時間数

全降雨量

最大時間雨量

最大時間雨量

発生日時

第一強雨群

自八日二〇時

至九日三時

二三四

54.5

九日 一時

第二強雨群

自九日一六時

至一〇日一時

一三七

36.0

九日二二時

第三強雨群

自一一日一時

至一一日九時

一七八

48.0

一一日八時

第四強雨群

自一一日一三時

至一二日五時

一六

二四九

34.5

一一日一八時

表13 主要洪水時と昭和51年9月の降雨量及び再現期間

指標

日雨量

2日雨量

3日雨量

4日雨量

洪水名

雨量

再現期間

雨量

再現期間

雨量

再現期間

雨量

再現期間

昭和51年9月

mm

280.9

148

mm

479.8

693

mm

592.9

553

mm

858.0

6,048

明治29 9

208.2

16

342.4

43

477.2

98

602.0

248

昭和34 9

135.6

2

252.0

7

278.2

5

285.7

3

昭和35 8

206.2

15

344.7

46

390.7

26

415.5

20

昭和36 6

196.0

11

304.1

20

388.9

26

452.1

33

理由

第一  本件災害の発生

昭和五一年九月一二日午前一〇時二八分ころ、岐阜県安八郡安八町大森地先の本件破堤箇所(その位置関係は図30のとおり。)において本件堤防が決壊し、同郡墨俣町の一部が浸水したこと(但し、時刻の点を除く。)、本件破堤に至るまでの長良川の水位については、本件破堤箇所より六キロメートル上流付近の墨俣地点において、同月九日から本件破堤に至るまで水位は四山のピークを示して増減したが、いずれも計画高水位を下回るものであつたこと、及び長良川は一級河川であつて、被告がこれを管理するものであることは、いずれも当事者間に争いがない。そして、<証拠>、並びに<証拠>(国土研報告書)によれば、本件破堤の時刻は午前一〇時二八分ころであつたことが認められる。

第二  河川管理の瑕疵に関する主位的主張について

そこで、まず、原告らの河川管理の瑕疵に関する主位的主張について判断することとする。

一  瑕疵の「一応の推定」について

原告らは、計画高水位以下の洪水により破堤した場合には、「一応の推定」の法理により、右事実から直ちに、河川の管理に何らかの瑕疵があつたことを推定すべきである旨主張する。

しかしながら、原告らの主張する「一応の推定」の法理というのも、それが経験則の適用による事実上の推定の一態様であること自体は原告らも自認するものであるところ、そもそも、「推定」を事実上の推定として論ずる以上、一定の前提事実から経験則の適用によつて推認される対象は、法的評価を経る以前の事実であるというほかなく、ただ、推認の対象事実としては抽象的な事実あるいは択一的な事実である場合もあり得るというにとどまり、それ以上に、法的評価を経なければ認定できないような「河川管理の瑕疵」の存在それ自体が、右前提事実から法律上当然に推定されることはあり得ないといわなければならない。

もつとも、推定のもととなる前提事実の内容及び経験則の内容次第によつては、右前提事実から法的概念である「河川管理の瑕疵」に該当する事実そのものが推認される場合が想定され得ないではなく、このような場合にはこの推認された事実から直ちに河川管理の瑕疵を認定することは、事実上の推定と法的評価の複合形態として、当然許されるものというべきである。

そうしてみると、国家賠償法二条の河川管理の瑕疵につき「一応の推定」の法理が適用されるか否かを抽象的に論じることは、本訴請求の当否を判断するにつきさして有用とは解されず、むしろ原告ら主張の具体的な前提事実からその主張にかかる瑕疵該当事実そのものの推定を許容する経験則の存否が検討されるべきである。そこで、以下この点につき判断する。

二  瑕疵の推定の要件について

1工事実施基本計画及び計画高水位の意義

(一) 河川法は、同法一条、二条一項において、洪水、高潮等による災害の発生の防止を河川管理の主要な目的の一つであると定め、その目的に資するため同法一三条一項において、河川管理施設は、水位、流量、地形、地質その他の河川の状況及び自重、水圧その他の予想される荷重を考慮した安全な構造のものでなければならない旨定めたうえ、同法一六条において、河川管理者に対し、その管理する河川について計画高水流量その他当該河川の河川工事の実施についての基本となるべき事項(以下工事実施基本計画という。)の策定義務を課し、これを策定するにあたつては、しばしば洪水による災害が発生している区域につき、災害の発生を防止し、又は災害を軽減するために必要な措置を講じるよう特に配慮しなければならない旨定めている。右の定めをうけて、河川法施行令一〇条は、工事実施基本計画の策定の準則を具体的に定めており、同条一項において、洪水、高潮等による災害の発生の防止又は軽減に関する事項については、過去の主要な洪水、高潮等及びこれらによる災害の発生の状況並びに災害の発生を防止すべき地域の気象、地形、地質、開発の状況等を総合的に考慮して工事実施基本計画を作成しなければならないこととし、同条二項において、工事実施基本計画中には河川工事の実施の基本となるべき事項として、「イ基本高水(洪水防御に関する計画の基本となる洪水をいう。)並びにその河道及び洪水調節ダムへの配分に関する事項、ロ主要な地点における計画高水流量に関する事項」を、また河川工事の実施に関する事項として、「イ主要な地点における計画高水位、計画横断形その他河道計画に関する重要な事項、ロ主要な河川工事の目的、種類及び施行の場所並びに当該河川工事の施行により設置される主要な河川管理施設の概要」(二、三号)をそれぞれ定めなければならないとしている。

そして、<証拠>により認められる事実と、「日本の河川」(建設省編、以下「日本の河川」という。)及び「改訂建設省河川砂防技術基準(案)計画編」(建設省河川局監修、社団法人日本河川協会編、山海堂、以下「河川砂防技術基準計画編」という。)に述べられているところを総合すると、右にいう基本高水とは、当該河川の工事実施基本計画の基本となるべき防御対象洪水を洪水流量波形として表したものをいうのであり、これを河道、洪水調節ダム等に合理的に配分して、河道の最大流量である計画高水流量が定められ、さらに当該河川の状況に即して計画高水流量に対応した流下断面(流水の流下に有効な河川の断面)を確保することを基本として計画横断形が定められ、このような計画横断形のもとで計画高水流量が流下する場合において達するであろう河川の水位を算出したものが計画高水位であつて、このようにして定められた計画高水流量及び計画高水位は工事実施基本計画に基づいて実施される河川工事の具体的な目標値とされるものであることが認められる。

以上によれば、現行河川法は河川管理者に対し、洪水による災害の発生を防止又は軽減するための措置として、計画高水流量を基本とした工事実施基本計画を策定し、これに基づいて河川工事を実施することを求めているものであり、特に堤防を設計施工するに際しては計画高水位を主たる基準として行うことを求めているということができ、このことは、河川法一三条二項に基づき堤防等の主要な河川管理施設等の構造について河川管理上必要とされる一般的技術的基準を定めている構造令が、その一八条において、堤防は「計画高水位以下の水位」の流水の通常の作用に対して安全な構造とするものとする旨定めていることからも明らかである。

(二) ところで、河川の管理については、道路その他の営造物の管理とは異なる特質及びそれに基づく諸制約が存するのであつて、工事実施基本計画及び計画高水位の意義の解釈にあたつては、右の点を考慮すべきものといわなければならない。すなわち、河川は、本来自然発生的な公共用物であつて、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性を内包しているものであるから、河川の管理は、当初から人工的に安全性を備えた物として設置される道路その他の営造物とは性質を異にし、本来的にかかる災害発生の危険性をはらむ河川を対象として管理者による公用開始のための特別の行為を要することなく開始されるのが通常であつて、河川の通常備えるべき安全性の確保は、管理開始後において、予想される洪水等による災害に対処すべく、堤防の安全性を高めるなどの治水事業を行うことによつて達成されていくことが当初から予定されているものということができる。この治水事業は、もとより一朝一夕にして成るものではなく、しかも全国に多数存在する河川についてこれを実施するには莫大な費用を必要とするものであるから、議会が国民生活上の他の諸要求との調整を図りつつその配分を決定する予算のもとで、各河川の改修等の必要性・緊急性を比較しつつ、その程度の高いものから逐次これを実施していくほかないという財政上の制約及び時間的制約があり、また、その実施にあたつては、当該河川の全体計画との関連において緊急に改修を要する箇所から段階的に、また、原則として下流から上流に向けて行うことを要するなどの技術的制約もあり、さらに、低湿地域の宅地化及び地価の高騰等による治水用地の取得難その他の社会的制約を伴うものである。しかも、河川の管理においては、道路の管理における危険な区間の一時閉鎖等のような簡易、臨機的な危険回避の手段を採ることもできないのである。河川の管理には、以上のような諸制約が内在するため、すべての河川について通常予測し、かつ回避し得るあらゆる水害を未然に防止するに足りる治水施設を完備するには相応の期間を必要とするのである。

以上説示したところと、<証拠>「日本の河川」及び「河川砂防技術基準計画編」を総合すると、河川法が前記(一)のとおり工事実施基本計画の策定を要求し、同計画において計画高水流量等の指標を用いて防御対象洪水の規模を示すことを求めている趣旨は、前記のとおり、河川管理の特質並びにこれに基づく財政上及び時間的・技術的・社会的諸制約のため、すべての河川において通常予測される洪水のすべてを防御し得ることとなるためには長年月を要することとなるうえ、当初からこれを洪水防御の目標として設定することはむしろ現実離れしたものとなるため、その間全国的に均衡のとれた洪水防御対策を推進していくためには、(1)長期的展望に立つた河川行政上の長期計画を定めておく必要があり、かつ、(2)右諸制約のもとで、河川の重要度を指標とする統一基準に基づき河川ごとに合理的かつ実現可能な防御目標を設定しこれを右長期計画としての工事実施基本計画において明らかにしておく必要があるためであると解される。したがつて、現行河川法は工事実施基本計画を定めるにあたつて、当該河川の流域において生起が予測される洪水のすべてを防御するため必要な措置を講ずべきことまで求めるものでないことは明らかであり、このことは、前記のとおり、河川法一六条三項が、工事実施基本計画を定めるにあたつて特に配慮すべき事項として、しばしば洪水による災害が発生している区域につき、「災害の発生の防止」のほか、「災害を軽減する」ために必要な措置を講じることをも掲げていること、及び前記構造令一八条の規定からも明らかである。

そして、前掲各証拠によれば、この各河川の重要度に応じた防御目標、すなわち工事実施基本計画の計画規模は、現在、各河川の流域の社会的経済的重要性、既往洪水による被害の実態、事業効果等を考慮して決定された、防御対象である洪水の成因となる降雨(以下計画降雨という。)の規模、すなわち、計画降雨の降雨量の生起確率(年超過確率)でもつて通常表され、この計画降雨を基に計算された洪水流量波形の中から基本高水が決定されたうえ、計画高水流量等の指標が決定されていくものである(なお、改訂前の建設省河川砂防技術基準(案)計画編においては、計画基準洪水のピーク流量の決定に当つては計画対象地域の重要度に応じて年超過確率を考慮するものとする旨定められ、したがつて、従前は洪水処理計画の規模は、その計画基準洪水のピーク流量の年超過確率で表されていたものである。)ところ、現在の工事実施基本計画の定め方の実際をみるに、工事実施基本計画の計画規模を示す計画降雨の生起確率については、河川の重要度に応じ、一級河川の主要区間において一〇〇分の一から二〇〇分の一(一〇〇年から二〇〇年に一回の確率)又は二〇〇分の一以下、一級河川のその他の区間及び二級河川のうち都市河川において五〇分の一から一〇〇分の一、都市以外の中小河川において一〇分の一から五〇分の一又は一〇分の一以上となるように定めるものとされていること、なお、「わかり易い土木講座16新訂版・河川」(稲田裕ほか著、土木学会編集、彰国社)によれば、淀川について昭和四六年に工事実施基本計画が改訂され、その際計画降雨の生起確率を一〇〇分の一ないし二〇〇分の一に拡大したことが認められるのであつて、同計画の規模及び同流域の重要性などにかんがみれば、一級河川の主要区間における計画降雨の生起確率も、二〇〇分の一程度を超えないのが現況であると考えられること(なお、改訂前の建設省河川砂防技術基準(案)計画編においては、計画基準洪水のピーク流量の年超過確率については、河川の重要度に応じて河川をAないしC級に区分し、A級において八〇分の一から一〇〇分の一、B級において五〇分の一から八〇分の一、C級において一〇分の一から五〇分の一とするのがおよその基準であるとされている。)、以上の事実がそれぞれ認められる。

(三) ところで、河川改修事業の現況についてみるに、右(二)掲記の各証拠によれば、工事実施基本計画の計画内容と河川改修事業の現況とでは相当大きな差があるのが通常であつて、例えば昭和五五年四月現在、一級河川の直轄管理区間においてさえ、堤防築造の必要な区間における堤防の整備率は四〇パーセントにすぎず、工事実施基本計画どおりの改修事業を完成するには今後一〇〇兆円を上回る費用と一〇〇年以上の長い年月を要すると見込まれていること、そのため、実際には「当面の整備目標」という中間的な目標を設けて段階的に改修事業を実施していく方針がとられていること、すなわち、昭和五二年におよそ一〇年後を目標とする治水事業の長期構想が策定され、これにより、当面の整備目標は、大河川については戦後最大洪水を対象に再度災害の発生を防止すること、中小河川については時間雨量五〇ミリメートルの降雨(生起確率五分の一から一〇分の一)を対象に整備を進め、そのほぼ三分の一を完成させることにおかれることとされ、以上の構想に基づき、昭和五二年六月治山治水緊急措置法上の計画である第五次治水事業五箇年計画(事業費総額七兆六三〇〇億円)が閣議決定され、これに基づいて改修事業が実施されており、さらに第六次治水事業五箇年計画に引き継がれることとされていること、しかしながら、この当面の整備目標でさえ、昭和五六年度末における達成率は大河川五八パーセント、中小河川一八パーセント程度であり、これをほぼ達成するにはなお十数年の期間を要するとされていることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上によれば、河川法が河川管理者に対し、計画高水流量を基本とした工事実施基本計画を策定し、これに基づいて河川改修事業をなすべきことを定めていることは前記(一)のとおりであるが、右計画は、その計画内容が一朝一夕に実施し得ないものであることは事柄の性質上当然というべきであるから、行政上の必要に応じて策定される長期計画であつて、当初から短期間内に計画の実現を予定したものではないということができるのであつて、このことは前記(二)においてみた河川管理の特質とそれに内在する諸制約に照らしてみても明らかである。してみると、河川法が河川管理者に対し直ちに工事実施基本計画に定めるとおりの河川改修を実施することを法的に義務づけているとは解することができないといわざるを得ない。

(四) ところで、<証拠>によれば、洪水現象が堤防の安全性に影響を与える要因は、単に洪水の水位及び流量に限られず、このほか洪水の継続時間、洪水位の変動、流水の作用、堤体上の降雨等の様々な要因が存し、これらが堤防に対し水衝作用、浸透作用等の様々な作用を及ぼすものであるところ、具体的な洪水においていかなる作用が堤防に加えられるかは、その洪水の態様によつて異なるものがあること、これに対し、堤防は、河川の流水を堤内地に氾濫させないことを目的とする基幹的な治水施設であり、第一に堤防はその高さにより河積を確保して洪水時の越水を防ぎ、第二に堤防はその断面の大きさ等により洪水時の流水の作用に対処するという二面的な機能を有するものであるが、いかなる態様の洪水のいかなる作用を防御の主眼とするかによつて堤防設計の在り方及び堤防の構造も根本的に変らざるを得ないことが認められる。

そこで、以下においては、我が国の洪水の特性とこれを防御する堤防の特性を明らかにしたうえ、工事実施基本計画において防御の対象とされている洪水の態様について検討してみる。

(1) まず、我が国の洪水の特性についてみれば<証拠>を総合すると、我が国は世界でも有数の多雨地帯に属し、特に台風時や梅雨時には短時間に多量の降雨がもたらされるという気象条件下にあり、また我が国の河川は、国土の特性から、急勾配で流路が短く、ひとたび豪雨があると短時間のうちに雨水が流出して洪水を起こしやすいという地形条件下にあることから、我が国の洪水は、洪水の総流出量に比して最大流出量が大きく、短時間に大きな流量で高い水位の洪水が発生するが、その高水位継続時間は数時間から一、二日程度と短く、いわゆる一過型の洪水が多いという特徴があること、もつとも、いわゆる長雨のように継続時間の長い降雨現象もないわけではないが、長雨が常に豪雨現象を伴つているわけではなく、また、豪雨現象を伴う場合であつてもそれが特定の流域に長時間継続することは稀有のことであるから、長雨があれば高水位の洪水が常に発生しかつその継続時間も長くなるという関係にはなく、したがつて、降雨時間が長いというだけでは治水上それほど問題となるものではないこと、そのため、従来我が国において治水上専ら問題とされてきたのは、短期集中型の高水位の洪水であることが認められる。

(2) 次に、河川法上洪水防御のための主要な施設である堤防の特性についてみるに、<証拠>によれば、

ア 堤防は昔から現在に至るまで土を材料として造られてきたものであるが、これは、材料である土の大量取得が容易であること、構造物としての劣化現象が起きないこと、基礎地盤と一体としてなじむこと、将来の拡築や修復等の工事が容易であることなど、土が他の材料に比べ極めて優れた点を有することに加え、古来より土で造られた堤防によつて洪水を防御してきた実績が存することから、土堤が後記の弱点を有することを勘案してもなお堤体材料として最適であると考えられていることによるものであつて、ちなみに構造令一九条も「堤防は盛土により築造するものとする。」と規定して、いわゆる土堤原則を採用することを明らかにしていること、しかしながら、土で造られた堤防は、洪水が土堤を越水するようになると、堤体が水流によつて洗掘されてたちまち破堤に至るという弱点があり、また、水衝作用、浸透作用等の、流水の越流作用以外の作用に対しても、右のほどではないがその安全性に限界があり、例えば、降雨及び洪水が長期間継続した場合には、雨水及び流水が土堤を浸透することを回避する方法がなく、越水しなくても、浸透作用により堤防が損傷することとなり、遂には破堤に至るものであること、特に土堤は洪水の右各作用中越流作用に対しては極めて弱く、このことは、我が国における昭和二二年から同四四年までの破堤事例のうち原因不明の事例を除くと、その八二パーセントまでが越流作用によつて破堤していることからも明らかであること、

イ 我が国の治水の歴史は、古くは、自然堤防上に土を盛り上げて堤を作つたことに始まり、その後何回となく洪水を経験するたびに、その時の判断と技術により行われた堤防の嵩上げ、拡幅等の改修工事の積み重ねであつたのであり、現在の堤防はそのようにして逐次形成されてきたものであるから、その堤体内部の構成及び土質は場所により異なり、不均質な状態となつているうえ、堤防は、自然が形成した河川に沿つて築造されるもので、その築造位置を自由に選択できないところ、堤防の基礎となる自然地盤の地質、地層、層厚も場所によつて様々であり、特に河川の付近は過去における度々の流路の変遷、河川による堆積・洗掘作用等を受けた履歴のある地盤であることが多いから、その不均質の程度は高いといえるのであつて、堤体及び基礎地盤の土質等のこのような不均質性は、堤防にとつて宿命的なものということができること、そして、堤体及び基礎地盤の土質等のこのような不均質性に起因して、堤防には場所ごとに相対的な強度差(機能限界の差異)が本来的に存在するほか、同一場所であつても流水の作用ごとにそれに対する強度には相対的な差異が生じること、すなわち、流水の作用ごとにそれに対する堤防の強度の要因は異なつているため、同一場所であれば流水のどのような作用に対しても同一の強度を示す、ということはあり得ず、ある流水の作用に対しては相対的強度が低くても別の作用に対してはそれが高いというように、当該堤防の強度は作用ごとにも異なるものとなつているのであり、そのため、堤防の強度の把握には著しい困難を伴うものであること、

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) <証拠>によれば、上記のとおり、我が国においては短期集中型の高水位の洪水が起りやすいところ、土で造られている堤防は越流作用によつて致命的な損傷を受けるのであるから、我が国における治水施設の整備は、短期集中型の洪水を対象に計画高水位を指標として洪水を越水させないことを第一義とし、これを目標として進められていること、もつとも土で造られている堤防は、水衝作用、浸透作用等の、越流作用以外の流水の作用に対しても、その安全性に限界があることは前述のとおりであるが、これらの作用によつて破堤にまで至ることは少ないうえ、短期集中型の洪水を防御対象として堤防を所定の高さを具備するように整備すれば、その結果として短期集中型の洪水に伴う越流作用以外の流水の作用に対する防御も機能的に包絡され、大抵の場合これによつて越流作用以外の流水の作用を防御し得るものであること、これらの流水の作用は局所的作用であるか、またはそれによる堤防損傷がその作用に対する強度の弱い箇所に集中して現われるという局所的な現象であるため、個別的に措置すれば足り、越流作用以外の流水の作用に対して全川にわたり画一的に対応することはむしろ適切でないなどの理由から、我が国における堤防の整備方針としては、これらの流水の作用に対する防御を第一義とはせず、専ら高い水位をもつ短時間の洪水を防御の対象として堤防の整備が進められてきたのであり、これらの流水の作用に対する堤防の整備は、過去の洪水時の経験等に照らし危険とされた場所について個別的に所要の対策を講じるという方法が採られているにとどまるものであること、換言すれば、我が国の治水施設の整備方針は、短期集中型の洪水に起因する流水の通常の作用の限度で安全であるように治水施設を整備する方針がとられているものであり、堤防の構造も右のような見地から定められていること、したがつて、計画高水位以上、以下であるかを問わず、その高水位の継続時間が異常に長いなど洪水(流水)の作用が通常性を超えるものについては、我が国においては当面の防御の対象とはされていないのが現況であること、もつとも、長時間高水位が継続する洪水を防御の対象として、それによる流水の作用、例えば浸透作用に対して絶対的安全性を有する堤防を造ることも純技術的には可能であると考えられるが、そのためには、現在の堤防設計の基本的な考え方を根本的に変更し、堤体断面を何倍にも拡幅したり、あるいはコンクリートで堤防を全面的に覆うなどの措置を講じることが必要になると考えられるところ、そのような堤防方式は我が国の現在の治水水準をはるかに超えるものであり、採用されるには至つていないこと、すなわち、我が国の河川は全国で総延長約一四万キロメートルにも及ぶものであるから、その堤防の機能を若干でも高めるためには大規模な工事を要するのであつて、例えば、浸透作用に対する安全性を高めるために一級河川の直轄管理区間(約八六〇〇キロメートル)の堤防の幅を1.5倍のものにするだけでも、その土工量は約五億立方メートル(スエズ運河の土工量の約七倍)を要し、これに必要な用地面積はおよそ二〇〇平方キロメートル(大阪市の総面積に匹敵)にものぼることとなり、右の工事を施工するだけでも莫大な国費を要するうえ、周辺の地域社会にとつて、住居の移転、農地の削減等容易に調整することが困難で、大きな影響をもつ問題が発生するに至ることは避け難いところ、それに加えて我が国の河川の改修の現況は前記(二)及び(三)のとおりの水準にあるにすぎないのであるから、これらの事情を考慮すると、先に述べた堤防整備の方法を根本的に変革し、越流作用以外の洪水の作用に対しても絶対的な安全性を有するように堤防を整備していくことは、現段階においては、経済的、社会的にみて合理的なものとはいえないと考えられていること、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、河川法が、我が国の上記のような洪水特性及び治水行政の現況を前提として、専ら短期集中型の洪水を防御の対象とし、洪水の最高水位時に河川水が堤防を越流しないようにすることを第一義とし、洪水の越流作用以外の流水の作用の関係では短期集中型の洪水の通常の作用に対して安全であるように治水施設を維持すべきことを求めるものであることは、河川法一六条、同法施行令一〇条が工事実施基本計画において防御の対象とすべき洪水を専ら計画高水流量及び計画高水位によつて表示し、これを河川改修の基本としたことからも窺うことができ、また構造令一八条が堤防は計画高水位以下の水位の「流水の通常の作用」に対して安全な構造とするものと定めているところからも、明らかに看取されるものといわなければならない。そして、「河川砂防技術基準計画編」によれば、河川管理施設等に関する調査、計画等について一般的技術的基準を定めることを目的とし、建設省河川局長昭和五一年六月二八日通知によつて昭和五一年度事業から試行的に施行されている改訂建設省河川砂防基準(案)は、工事実施基本計画作成の手順、方法及び内容についての具体的な基準を定めているところ、基本高水決定の前提となる計画降雨は降雨量、降雨量の時間的分布及び場所的分布の三要素のほかその降雨の継続時間によつて決定されるものとし、右の計画降雨の継続時間については、流域の大きさ、降雨の特性、洪水流出の形態、計画対象施設の種類等を考慮して決定されるものとしているところ、最近工事実施基本計画が改訂された主要河川における計画降雨の継続時間は、当該河川の洪水特性等の調査結果を基として、そのほとんどが二日と定められており、なかには二四時間と定められている例があるのに対し、四日以上の継続時間を定めた例は見当らないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上によれば、河川法により策定された工事実施計画及びこれに基づく我が国の河川改修は、我が国の上記のような洪水特性及び治水行政の現況を前提として、短期集中型の洪水のうち計画高水位を下回る洪水(流水)の通常の作用の防御の対象として策定されかつ実施されることが予定されているということができるのであり、計画降雨の継続時間が二日を上回る規模の降雨によつて生じる洪水は、通常防御の対象とはされていないものということができる。

2瑕疵の推定の要件

上記認定事実に基づいて瑕疵の推定の要件について考えるに、一般に構造物がその設計外力以下の外力に耐えられなかつた場合、当該構造物に欠陥が内在することによるものと事実上推定し得ることは明らかであるところ、工事実施基本計画が計画高水位以下の洪水(すなわち計画高水流量以下の流量の洪水)の通常の作用(すなわち短期集中型の洪水の通常の作用)を設計外力とし、右外力に耐えることのできる河川管理施設を実現するため、具体的な河川工事の実施を計画するものである以上、工事実施基本計画のとおり改修の完了した堤防(以下完成堤防という。)が計画高水位以下の水位の洪水の通常の作用により破堤した場合には、反証のない限り、右事実から河川の管理に瑕疵があつたことを事実上推定し得るものというべきである。

これに対し、工事実施基本計画に基づく改修が完了していない堤防(以下未完成堤防という。)においては、工事実施基本計画上当該堤防に予定された設計外力に耐えられるようには出来上つていないことは明らかであるうえ、財政上の制約並びに時間的、技術的、社会的諸制約があつて改修事業の実施に長年月を要することをも考慮すると、改修の遅延について河川管理者の責任を問うのを相当とする特段の事由が存在する場合は別として、計画高水位以下の水位の洪水により破堤したからといつて、右事実から直ちに河川管理の瑕疵を事実上推定することは相当でないというべきである。

なお、原告らは、現行河川法及びこれに基づく河川の水害防止に関する一連の法令は、堤防の構造は計画高水位以下の水位の流水の作用に対して常に安全でなければならない旨定めている旨主張し、それを根拠として、堤防が計画高水位以下の水位の洪水により破堤した場合には、右事実のみから直ちに河川管理の瑕疵を事実上推定すべきであると主張する。

しかしながら、河川改修事業は一朝一夕には実施し得ないものであつて、現行河川法も河川管理者に対し、直ちに工事実施基本計画に定めるとおりの改修事業を実施することを法的に義務づけるものではないこと、また工事実施基本計画は計画高水位以下の水位の洪水であつても、洪水の作用が通常性を超えるものについては、これを当面防御の対象としていないことは前記のとおりであるから、現行河川法等が、あらゆる堤防についてその堤防の完成・未完成を問わず、計画高水位以下の水位の洪水(流水)のあらゆる作用に対して安全でなければならない旨定めているものでないことは明らかである。瑕疵の推定の要件に関する原告らの右主張はその前提を誤るものであつて、失当であるといわざるを得ない。

三原告ら主張の瑕疵推定の可否について

本件破堤の事実及び墨俣地点における長良川の水位が本件破堤に至るまで計画高水位を下回るものであつたことは前記第一のとおりであり、以上によれば、本件堤防は計画高水位以下の水位の洪水により破堤したものと推認できる。

しかしながら、<証拠>を総合すると、昭和四四年三月木曽川水系工事実施基本計画が策定され、同計画において、長良川改修事業に関しては、昭和三四年九月洪水及び同三五年八月洪水を主要な防御対象洪水として忠節地点における基本高水の流量を毎秒八〇〇〇立方メートル、計面高水流量を毎秒七五〇〇立方メートルとする旨定めるとともに、計画高水位については主要な五地点について定め、そのうち墨俣地点はTP12.16メートルとし、また計画横断形については主要な三地点について定め、そのうち本件堤防に最も近い堀津地点(河口から上流32.0キロメートル)についてこれを摘記すると、表法面については小段を一段設け、天端から小段までの法勾配を一対二、小段から法尻までを一対三とし、裏法面については小段を二段設け、天端から第一小段までの法勾配を一対二、第一小段から第二小段まで及び第二小段から法尻までをいずれも1対2.5とすることとしていること、さらに主要な河川工事の目的、種類の場所等については、本件破堤箇所を含む長良川中流部(岐阜市大字日野から岐阜県安八郡輪之内町大藪)においては、川幅はほぼ現状のままとして腹付けによる拡築を行うほか、岐阜市の忠節橋から上流については掘削を行つて河積を増大し、さらに漏水対策を重点的に実施するとともに、護岸・水制を施工して、洪水の安全な流下を図ること等を定めていること、以上の計画に基づき長良川の改修事業が順次進められてきており、本件破堤箇所を含む一連区間(岐阜県安八郡墨俣町及び安八町の地先区間で犀川右岸堤取付部から福束輪中堤取付部までの区間)については昭和四七年度から堤防裏側の拡築を主とした改修工事が着手され、本件破堤当時は、新犀川逆水樋門より下流に向かつて順次改修が進められていたところであり、本件破堤箇所についても堤防裏側の拡築、護岸の施工及び河道の浚渫等の改修工事が予定されていたものであるが、未施工の段階であつたこと、すなわち、本件破堤当時、本件堤防(その断面は後記第三の四2(一)の図32のとおり。)は、特に裏小段の数と裏法面の勾配が不足していた点において木曽川水系工事実施基本計画に定める改修の完了していない未完成堤防であつたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、今後増改築される堤防の構造について河川管理上必要とされる一般的技術的基準を定めた構造令の規定に照らしてみても、本件堤防が裏小段の数及び堤防法面の勾配の点において構造令の定める基準を充足するものと評価できないことは後記第三の四4(一)(1)ウ、エのとおりであるうえ、本件破堤の原因が河川水の浸透作用と降雨による浸透作用の複合によるものであることは後記第三の五2のとおりであるところ、本件堤防の裏小段の数及び堤防法面の勾配の不足が河川水の浸透作用及び降雨による浸透作用に対する安全性に重要な影響を及ぼす性質のものであることは、後記第三の四4(一)(2)において認定するところである。そうすると、本件堤防は、総体的に見て完成度の高い堤防であつたとはいえ、工事実施基本計画に定めるとおりの改修の完了していない点があつたうえ、その未改修の点が河川水の浸透作用及び降雨による浸透作用に対する関係ではその安全性の不足につながるものであつたのであるから、安全性の具備という実質面からみても、本件堤防が未完成であつたと評価せざるを得ないことは明らかである。

また、本件洪水の堤体に対する作用が「流水の通常の作用」の範囲内にとどまることを認めるに足りる証拠はなく、むしろ洪水継続時間及び本件降雨・洪水による浸透作用の程度が通常性を超えるものであつたことは後記第三の三及び第三の六のとおりである。

そうだとすれば、本件堤防が未完成であつたうえ、流水の通常の作用によらない破堤であつたという点において、さきに説示した瑕疵推定の要件を満たさないことは明らかであるから、本件において河川管理の瑕疵を推定することはできないというべきである。

なお、原告らは、計画高水位以下の洪水により破堤したのであるから、すなわち河川管理の瑕疵があつたとみるべきであるとも主張するが、かかる主張が到底採用し得ないものであることは以上述べてきたところから明らかである。

第三  河川管理の瑕疵に関する予備的主張について

次に、原告らは、河川管理の瑕疵に関する予備的主張として、本件堤防には欠陥が存し、これがため本件堤防は一級河川に係る河川管理施設として通常備えるべき安全性を欠いており、右安全性の欠如は、右欠陥を放置した被告の河川管理の瑕疵によるものであると具体的に主張する(請求原因第三の二、三、以上の原告らの主張を、本項においては単に予備的主張という。)ので、この点について判断することとする。

一  河川管理の瑕疵の判断基準

国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい(最判昭五六年一二月一六日民集三五巻一〇号一三六九頁参照)、かかる瑕疵の存否については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである(最判昭和五三年七月四日民集三二巻五号八〇九頁参照)。

ところで、原告らは、その予備的主張の前提として、河川管理の瑕疵の判断基準につき、河川が通常有すべき安全性を欠いているとは、河川が通常予測すべき洪水に対して安全性を欠いていることをいうのであり、この通常予測すべき洪水とは、水位については計画高水位以下の洪水をいい、また、本件においては洪水継続時間及び堤体上の降雨の点についても問題とすべきところ、これらの点については木曽三川流域において通常予測される規模のものをいう旨主張する。

しかしながら、河川の管理については、前記第二の二1(二)のとおり道路その他の営造物の管理とは異なる特質及びそれに基づく諸制約が存するのであつて、河川管理の瑕疵の有無の判断にあたつては、右の点を考慮すべきものといわなければならない。すなわち、河川の管理には、その特質に由来する財政上並びに時間的・技術的・社会的諸制約が内在するため、すべての河川について通常予測し、かつ、回避し得るあらゆる水害を未然に防止するに足りる治水施設を完備するには相応の期間を必要とするうえ、治水施設の整備の現況は当該流域において生起が予測される洪水のすべての作用を防御し得る水準に達していないことは前記第二の二1のとおりであるから、これらの点を考慮すると、未改修河川又は改修の不十分な河川の安全性としては、右諸制約のもとで一般に施行されてきた治水事業による河川の改修、整備の過程に対応するいわば過渡的な安全性をもつて足りるものとせざるを得ないのである。

したがつて、我が国における治水事業の進展等により前示のような河川管理の特質に由来する諸制約が解消した段階においてはともかく、これらの諸制約によつていまだ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至つていない現段階においては、当該河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約のもとでの同種・同規模の河川管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解するのが相当である(最判昭和五九年一月二六日参照)。

以上のとおりであるから、河川管理の瑕疵の判断基準に関する原告らの前記主張は、河川管理の特質及びこれに基づく諸制約の存在を考慮しない点でその前提を誤つており、失当であるといわざるを得ない。

そこで、次項以下においては、以上のような河川管理の瑕疵の判断基準に従い、まず本件について具体的、個別的に瑕疵の有無に関する諸般の事情を調べたうえ、その結果に基づいて瑕疵の有無を検討するという順序で判断を進めることとする。

二  長良川の概要

1長良川流域の概要

<証拠>並びに建設省報告書を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 長良川流域

長良川は、一級河川木曽川水系に属する河川で、木曽川、揖斐川とあわせて通称木曽三川といわれているが、この木曽三川はいずれも広大な濃尾平野をとりまく山岳地帯にその源を発し、それぞれ濃尾平野を貫通して、ほとんど同一地点に集まつて伊勢湾に注いでおり、流域面積は合計約九一〇〇平方キロメートル、幹川流路総延長は四九四キロメートルに達している。

このうち長良川は、木曽川に次いで二番目の大きさであり、その流路、流域面積及び幹川流路延長は請求原因第一の二のとおりである(この点は当事者間に争いがない。)。また、その流域(同流域の概要について図8、9及び15を参照。)は、岐阜市に至るまでの山地部(全流域面積の七〇パーセントを占める。)と岐阜市から揖斐川合流点までの平地部に大別される。

(二) 地形的特色

木曽三川が貫流する濃尾平野は、かつて現在の伊勢湾を含む大きな海湾であつたところに、木曽三川等の諸河川から流送された土砂が徐々に堆積することにより形成された沖積平野であるが、この平野の地形は、基盤の傾動沈下などに起因して、東高西低という特徴を有している。

ところで、一般に沖積平野の中心部には河川の氾濫の結果として河川に沿つてやや標高の高い自然堤防が生まれ、その後方には標高の低い後背湿地が形成される場合が多く、この自然堤防は集落や畑として、後背湿地は水田として利用されるのが通常であるところ、濃尾平野の大半も自然堤防あるいは後背湿地の地形となつている。

木曽三川は、それぞれ濃尾平野に流入する地点においては遠く離れているが、過去幾度も河道を変えながら、同平野の東高西低の地形によつて同平野の西部に集まり、明治中期以前まで互いに網状に連なつて流下していた。このため木曽三川の洪水は濃尾平野西部の低地で氾濫する傾向がみられ、近世において行われた木曽川左岸堤防の補強はこの傾向に、より拍車をかけたものとみられている。

また、濃尾平野西部では木曽三川が互いに網状に連なつて流下していたことから、自然堤防は島状にかつその外周部に環状に形成されたのであり、同平野に独特な輪中堤は、主に右のような自然堤防を基礎としてその上に、集落、農耕地を囲むように築造されたものである。

(三) 降水状況

長良川流域の年間降水量は、山地部で約二七〇〇ミリメートル、平地部で約二〇〇〇ミリメートル、流域平均で約二五〇〇ミリメートルであり、木曽三川のうちでは揖斐川流域よりも少なく木曽川流域よりも多い降水量である。全国の年平均降水量分布(昭和六年から同三五年)によると、年平均降水量の多い地域は西日本の太平洋に面した南岸沿いの地域(主に降雨によるもの)と、北陸地方から東北地方にかけての日本海に面した地域(降雪の占める割合が大きいもの)であるが、長良川流域はこの二つの地域のいずれにもあたらず、その年間降水量は流域を通じて見れば全国平均を若干上回るものの特に多い地域であるとはいえない。また、全国の日降水量の極値分布(前同期間)によると、短期間の雨量の多い地域は西日本の太平洋岸の多雨地域と大体一致するが、長良川流域はこれに含まれない。以上のとおり、長良川は、流域平均値で見る限り、全国的にみて特に雨量の多い地域とはいえないが、上流の山地部には年間降水量が三〇〇〇ミリメートルを超える、西日本の太平洋沿岸の多雨地域に次ぐ雨量の多い地域が存在する。

このため、木曽三川は我が国の主要河川のうちでは流量の多い河川となつている。すなわち、木曽三川の流域一〇〇平方キロメートルあたりの平均流出量は毎秒7.03立方メートルで、他の主要河川より著しく多い流量であるうえ、豊水量、平水量、低水量及び渇水量のすべての流出状態においても他の主要河川より流量が多くなつている。木曽三川のうちでは、揖斐川の流量が最も多く、ついで長良川、木曽川の順である。さらに、これら木曽三川の最大流出量も極めて大きく、これは、大洪水による水害の危険性の高いことを示すものでもある。

なお、この豊かな木曽三川の河川の水は、東海地方における工業用水、都市用水の重要な資源となつているうえ、輪中地域における広大な水田地帯の灌漑用水となつているものである。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2長良川の洪水及び治水事業

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 江戸時代以前

歴史に残されている木曽三川の最古の洪水は奈良時代にさかのぼり、そのころの治水工事は自然堤防上に土をかきあげた小さな堤であつたと推定されているが、やがて上流側に凸な半円形をした尻無堤といわれる堤防が造られるようになり、鎌倉時代末期には、木曽三川の下流地方で、高潮による水害の防止のため、新たに下流側に凸な半円形をした堤防が造られ、これが右尻無堤と一体となつて環状の輪中堤が形成された。

その後、他の周辺地域の尻無堤も徐々に輪中堤へと変わつていつたが、特に、慶長一三年(一六〇八年)に木曽川左岸の犬山から弥富までに通称御囲堤といわれる大連続堤防が造られ、その結果、木曽川の洪水が木曽川右岸域である長良川、揖斐川の低平地部へ集中することとなつたため、輪中堤の形成は増加し、江戸時代はその最盛期であつたといわれている。

しかしながら、右御囲堤の築堤、輪中堤の増加等により、洪水時の流出土砂等が河川の中に堆積することとなつて河床が上昇し、また洪水が河道に集中することとなり、この結果洪水位の上昇をもたらし、破堤による水害の発生に加え、輪中内に降つた雨水の排除が困難となつたことによる農作物の被害が増加することとなつた。このため、堤防補強のほか、宝暦五年(一七五五年)に洪水の疎通をよくする方法として木曽三川の分流を意図したいわゆる宝暦治水工事が行われた(但し、木曽三川を完全に分流するには至らなかつた。)うえ、輪中内においても、内水排除のための樋管の改築等が行われるとともに、堤内地の水田を盛土して高くした堀上げ田(堀田)が造られるなど、水害を軽減する努力がなされた。

なお、室町時代から江戸時代にかけて、長良川では、天文三年(一五三四年)、慶長一六年(一六一一年)、寛永八年(一六三一年)、寛政一〇年(一七九八年)、文化八年(一八一一年)の各大洪水を始めとして、多くの洪水が発生し、堤防は破堤し、多くの死者と甚大な被害が発生したことが記録に残されている。

(二) 明治時代以降

(1) 明治改修

明治に入ると、近代的な土木技術の導入された国の直轄事業として主要な河川の改修が行われるようになり、木曽三川についても、明治一一年から各種の調査が行われ、同二〇年に木曽川下流改修計画が策定され、連続堤の築堤方式による高水工事が我が国で初めて着手された。これがいわゆる明治改修で、木曽三川下流部を対象とし、木曽三川を分流して洪水を速やかに流下させるため、木曽三川を連ねる流路を締切り、木曽川に合流していた長良川を分離して河口で揖斐川に合流させることなどを目的として、同年から同四四年にかけて改修工事が実施されたが、右改修の基本となつた長良川の計画高水流量は毎秒一五万立方尺(四一七〇立方メートル)と定められていた。

なお、右改修事業が実施されている期間においても、明治二一年、同二六年、同二九年、同三六年、同三八年、同四三年に洪水が発生し、特に明治二九年には七月と九月の二度にわたる洪水が発生し、長良川及び揖斐川周辺のほとんどが浸水し、罹災者は七月において一九万人、九月において二七万人を数えたといわれている。この明治二九年九月洪水をもたらした降雨は、同月四日から一二日にかけて揖斐川上流域を中心に一〇〇〇ミリメートルを超える総雨量を記録した降雨(表2及び図8参照)で、長良川流域においても、当時から雨量観測が行われていた白鳥、八幡、葛原、美濃、岐阜の五か所の気象庁雨量観測所においていずれも既往最大の総雨量を記録し、かつ、降雨が長時間継続した点で大きな特色を有する降雨であつた。

(2) その後の戦前の改修

明治改修の対象区域外であつた木曽三川上流部は、河幅が狭く、屈曲部も多く、かつ河床の土砂堆積が著しく、堤防が劣弱である等のため、常に洪水の脅威を受けており、また、そのため明治改修の効果を減殺させるおそれもあつた。そのため、木曽三川上流部を対象とする改修事業が、大正一〇年に策定された木曽川上流改修計画に基づき、同年から二〇年間にわたり実施されたが、右改修の基本となる長良川の計画高水流量は、明治二九年の大洪水を基準として毎秒一六万立方尺(四四四五立方メートル)と定められた。

一方、木曽三川下流部においても、長良川で昭和一〇年に計画高水位に迫る洪水が発生したことなどを契機として、昭和一一年に、河道の掘削、浚渫、堤防の拡築などにより、河積を増加させ、河道の安定をはかり、洪水の疎通、内水排除等を容易ならしめるための改修事業が二〇箇年計画で着手された。

(3) 戦後の改修

第二次世界大戦後、我が国の国土は、戦前及び戦中の改修事業の停滞、乱伐による森林の荒廃等により、河川及びその流域は極めて荒廃した状況にあり、連続的に大洪水による大災害が発生した。これを契機に全国の主要河川の改修計画の再検討が行われ、木曽三川については、昭和二八年、従来の上下流別の改修計画を一本化した木曽川改修総体計画が策定され、なお長良川の計画高水流量は毎秒四五〇〇立方メートルに改訂された。

右計画に基づき、長良川においても河道掘削、浚渫、堤防補強等の改修工事が実施されていたところ、改修途上である昭和三〇年代半ばに、昭和三四年九月、同三五年八月及び同三六年六月にいずれも計画高水流量を大幅に上回る大洪水が相次いで発生した。昭和三四年九月洪水は伊勢湾台風によりもたらされた降雨によるもので、長良川流域でも一〇〇ないし三〇〇ミリメートルの降雨があり、かつ、台風の接近に伴い短時間に強い雨が降り、このため長良川上流部に氾濫による大きな被害が生じた。昭和三五年八月洪水は台風一一号及び一二号によつてもたらされた降雨によるもので、長良川では前年の洪水を上回る既往最大の出水となり、上流部芥見で左岸堤が前年に引き続き再度破堤、右岸堤が溢水し、岐阜市内長良橋付近で溢流し、下流部の福原輪中で輪中堤が破れるなどの大災害となつた。昭和三六年六月洪水は、昭和三六年梅雨前線豪雨と名付けられた記録的な大雨によるもので、長良川流域では総雨量五〇〇ないし八〇〇ミリメートルを記録し(表3及び図9参照)、明治二九年九月降雨以来の長時間豪雨となり、このため長良川は昭和三四年九月洪水に匹敵する大洪水となり、上流部芥見、保土島で溢水破堤しかなりの被害を受け、平野部においても長時間の湛水による被害を受けた。

このため、従来の改修計画の基本である計画高水流量の再検討が行われ、昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な対象洪水とし、忠節地点における基本高水流量を毎秒八〇〇〇立方メートルとし、そのうち毎秒五〇〇立方メートルについては上流部のダムによつて洪水調節を行い、河道の計画高水流量を毎秒七五〇〇立方メートルとする大幅な流量改訂が昭和三八年に行われ、これに対処し得るように改修工事が進められることとなつた。

(4) 現在の改修事業

昭和四〇年に現行河川法が施行されたことに伴い、同法一六条の規定に基づき、同四四年三月木曽川水系工事実施基本計画が策定された。同計画の計画規模を示す指標の値は明らかではないが、一級河川の主要区間における計画降雨の生起確率を一〇〇分の一から二〇〇分の一、計画降雨の継続時間を二日程度とする現在の水準を超えるものでないことが推認される。そして、同計画の計画内容についてみると、長良川については、基本高水の流量及び計画高水流量については同三八年に改訂された流量を維持することとし、昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な対象洪水としてこれらに対処するため、下流部では大規模な浚渫により河積の増大をはかり、上流部では既設堤防高で不足する箇所の河積は河道掘削で対処すること、堤防については小段幅の拡幅を行い、水衝部等には護岸を設け、漏水の著しい箇所には漏水対策工を行うこと、内水対策として導流堤の延長及びポンプ場の設置等を行うことなどが定められている。ところで、工事実施基本計画の計画内容はその実現に長年月を要するものであるため、現在大河川においては中間目標として戦後最大洪水を対象に整備を進めている段階にあるが、長良川においては、前記のとおり、従前から同流域における昭和三大洪水、とりわけ昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な防御対象として改修工事が進められているところであつて、その完成までには直轄管理区間(左岸は岐阜市大字日野字舟伏三九六五番の一〇〇地先(距離標56.2キロメートル)から揖斐川合流点(距離標2.8キロメートル)までの53.7キロメートル、右岸は岐阜市大字長良古津字小島山九一九番の一一の一地先(距離標56.2キロメートル)から揖斐川合流点(距離標2.8キロメートル)までの54.0キロメートル)だけでも今後二〇〇〇億円の費用が必要とされている。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3長良川の治水事業の水準

<証拠>、「日本の河川」並びに弁論の全趣旨を総合すると、木曽川水系はその重要性が高いことから、我が国の中で古くから重点的に改修事業が実施されてきている水系の一つである(ちなみに、「日本の河川」によれば、昭和五七年度の直轄改修事業費のうち約三六パーセントにあたる七九五億円が、木曽川水系を含む一〇大水系幹川部に対し配分されている。)うえ、木曽三川のうちでも長良川に対しては、木曽三川の事業費の約半額が投入され、重点的に改修事業が進められてきているのであつて、昭和四七年度以降同五一年度までの五年間において、全国(北海道を除く。)と長良川との直轄管理区間一キロメートルあたりの河川改修費を比較すると、長良川に対しては全国水準を大きく上回る河川改修費が費されていることがわかる(表8参照)こと、そのうえ、長良川は前記2のとおり古くから改修事業が進められてきた歴史を有するのであつて、その河川管理施設の整備状況は我が国の河川管理の一般水準を上回るものであること、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実に前記1、2に述べたところを総合すると、長良川の治水事業は、木曽川水系工事実施基本計画に基づき、昭和三大洪水、とりわけ昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な対象洪水として改修工事が進められている段階にあるとはいえ、その水準は、我が国の治水事業の現況が前記第二の二1のとおりであることに照らすと、我が国の治水事業の一般水準を上回るものであり、また、長良川と同種・同規模の河川の管理の一般水準を下回らないものであるということができる。

三  本件降雨・洪水の状況及びその規模

1本件降雨

(一) 気象状況

本件降雨・洪水をもたらした昭和五一年九月四日から同月一四日にかけての気象状況が請求原因第二の二1(一)のとおりであつたことは当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によれば、東京管区気象台の報告書「異常気象調査報告書―昭和五一年九月八日から一三日にかけての台風第一七号と前線による大雨」において、右気象現象の特性として、(1)台風が大型で強く、移動速度が遅かつたこと、すなわち、台風一七号は、沖縄本島に接近するまでは気象庁の台風分類基準の「大型、非常に強い」の分類に該当し、その後長崎市付近に上陸するまでは右基準の「大型、強い」の分類に該当したのであり、また、沖縄付近から長崎市付近までの北上速度は毎時九キロメートル弱と遅く、その間八三時間を要し、特に一〇日から三日間は屋久島南西海上においてほぼ停滞したこと、(2)台風が遠方にあるころから岐阜県地方等に大雨をもたらしたこと、すなわち、台風一七号がはるか鹿児島南方約一〇〇〇キロメートルの海上にあつた八日から、岐阜県地方を含む関東以西の各地で大雨が降り始めたこと、(3)降雨期間が長く、降雨の地域分布のパターンが定着したため大雨となつたこと、すなわち、本件降雨は、太平洋高気圧の外縁を北西進する南東気流と台風の外縁を北上する南風との収束によつてもたらされる、典型的な豪雨型の降雨であつたのであるが、八日から一二日にかけて、気圧パターンが北日本を除きほぼ固定したため、南よりの湿潤気流の流入が継続し、降雨の地域分布のパターンもほぼ定着したことにより、岐阜県南西部や三重県西部などの同一地域に雨が継続して、大雨となり、雨量の地域差が大きくなつたものであること、(4)豪雨域が南北に細長く延びる形となつたこと、すなわち、風上斜面に多いいわゆる地形性降雨のほか、これとは別に、北北東から南南西に延びる細長い豪雨域が岐阜県等にあらわれ、そのため山間部のみならず平野部にも同時に豪雨をもたらしたこと、以上の各点が指摘されていることが認められる。

(二) 本件降雨の状況

<証拠>、建設省報告書並びに弁論の全趣旨を総合すると、

(1) 前記(一)の気象現象による本件降雨の状況は、次のとおりであつたこと、すなわち、同月八日午後から三重県を中心に強雨が始まり、帯状雲域に沿つて雨域は南北に拡がり、岐阜県においても美濃平野部を中心に雷雨が降り始め、同日夜半ころの岐阜市の時間雨量は92.5ミリメートルに達したこと、同日九日以降も岐阜県西部を中心に断続的な雨が降り続いた後、同月一〇日夜から一二日にかけて、台風や前線の停滞に伴い大雨の第二波が起こり、南北に延びる湿舌に沿つて長良川上流付近から三重県中部に達する地域で強雨が続いたこと(以上の事実は当事者間に争いがない。)、その後、強雨は一時小康状態となつたが、同月一三日午後から夜半にかけて揖斐、長良上流域から三重県北部に延びる強雨域が現れ、同月一四日早朝になつてようやく降雨がやんだこと、

(2) 次に、これを長良川流域についてみると、長良川流域を中心とする降雨量の分布は図15のとおりで、同図から明らかなように、豪雨域がほぼ長良川流域を包み込む範囲となつており、特に長良川流域に降雨が集中したものであること、また、長良川流域の主な気象庁の雨量観測所における降雨量は表16のとおりで、八幡及び葛原では総雨量一〇〇〇ミリメートルを超え、岐阜、美濃及び白鳥でも八〇〇ミリメートルから九〇〇ミリメートルを超える総雨量を記録したが、これら各地点で観測された総雨量は、当該地点の年間降雨量の二分の一ないし三分の一に相当するものであつたこと、

表16 本件降雨の降雨量

(単位ミリメートル)

観測所

白鳥

八幡

美濃

葛原

岐阜

最大日雨量

二六二

三八四

三八七

四三〇

三四四

最大二日雨量

四一一

五四二

四二九

六〇五

四二二

最大三日雨量

六〇三

六七八

五三五

八〇三

五二三

最大四日雨量

七五二

九七三

七九六

九七八

七九八

総雨量

九〇七

一〇八二

八四一

一一二九

八四二

(3) また、長良川の既往の著名な洪水のうち気象状況が明確な昭和三大洪水の際の各降雨と本件降雨を比較すると、本件降雨は、①台風の移動速度が遅く、台風による降雨開始時間が早いこと(なお、昭和三六年六月降雨は梅雨前線性降雨である。)、②前線が長時間停滞していたこと、②降雨が長良川流域に集中したこと、④降雨継続時間が著しく長く、降雨量も著しく多いこと、⑤平野部の降雨が強かつたことなどの特性を有していたこと、

(4) 右のうち、本件降雨の降雨継続時間についてみると、建設省八幡雨量観測所における時間雨量分布図は図16のとおりで、同図から明らかなように、八幡地点においては、七日午後四時に降り始めてから一四日午前二時に降りやむまでの一五四時間のうち延べ一一八時間、破堤時までの一一四時間のうち延べ八八時間であり、また、忠節地点では、七日午後四時から一四日午前一時までの一五三時間のうち延べ一〇三時間、破堤時までの一一四時間のうち延べ八二時間という長時間であつたこと、また、本件降雨は、破堤に至るまで四波、降りやむまで五波に及ぶ強雨群によつてもたらされたもので、八幡地点における破堤時までの四波の強雨群は表10のとおりであつたこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三) 既往降雨との比較

(1) 降雨量の比較

<証拠>を総合すると、本件降雨の降雨量は昭和三大洪水時における各降雨量を大きく上回つているだけでなく、長良川流域において既往最大といわれている明治二九年九月降雨の際の気象庁の各雨量観測所における降雨量の記録をも上回つているものであること、すなわち、明治二九年九月当時から雨量観測が行われていた白鳥、八幡、葛原、美濃、岐阜の五か所の雨量観測所においてその当時記録された降雨量と本件降雨における同一雨量観測所のそれとを比較すると、総雨量については岐阜及び葛原を除く三雨量観測所において、また、日最大雨量については全雨量観測所において、二日ないし七日の各日最大雨量については岐阜を除く四雨量観測所において本件降雨の記録がいずれも明治二九年九月降雨のそれを上回つており、特に本件において長時間洪水の原因となつた四日最大雨量(本件降雨においては昭和五一年九月八日から一一日までの雨量、明治二九年九月降雨においては同月六日から九日までの雨量)を比較してみると、岐阜を除く四雨量観測所においては本件降雨の記録が明治二九年九月降雨のそれを大きく上回つており、岐阜においてのみわずかに下回つたにすぎないこと、ちなみに、明治二九年九月降雨における右五か所の雨量観測所の四日最大雨量の合計値と本件降雨におけるそれと比較してみると後者は前者の1.31倍(岐阜を除く四雨量観測所についてみると1.41倍)となることが認められるから、本件降雨の規模は上記雨量観測所において記録された降雨量の上では、総体的に見て明治二九年九月降雨の規模を上回り、既往最大のものであつたというを妨げないというべきである。

(2) 流域平均雨量の比較

<証拠>、建設省報告書及び「改訂建設省河川砂防技術基準(案)調査編」(建設省河川局監修、社団法人日本河川協会編、山海堂、以下「河川砂防技術基準調査編」という。)に弁論の全趣旨を総合すれば、建設省報告書において、本件降雨と長良川の既往の降雨とを比較することにより本件降雨の規模の検討を行つているところ、そのうち流域平均雨量に関する検討結果によると、降雨資料については観測所の数が少なかつた明治二〇年代の降雨記録をも検討の対象に含めるため、前記五か所の気象庁雨量観測所の明治二六年から昭和五一年までの記録を資料として採用し、ティーセン法を用いて忠節地点上流の流域平均の日雨量、二日雨量、三日雨量及び四日雨量を算出しているが、このうちそれぞれ第一位から第五位までのものを順に示すと表12のとおりとなり、また、そのうち長良川の主要洪水である明治二九年九月洪水及び昭和三大洪水並びに本件洪水の際の流域平均各日雨量を示すと表13のとおりとなること、これによると、本件降雨の流域平均日雨量は観測史上第二位、流域平均二日雨量、三日雨量及び四日雨量はいずれも観測史上最大値を示し、しかも、降雨継続日数が長くなるにつれて既往の降雨との差が大きくなつているもので、特に本件において長時間洪水の原因となつた四日雨量についてみると、本件降雨は既往最大であつた明治二九年九月降雨に対して雨量の差で二五〇ミリメートル以上、倍率で1.43倍上回つており(なお、総雨量についてみても、1.11倍程度となつている。)、また昭和三大洪水のうち最大であつた昭和三六年六月降雨に対しては倍率で約1.9倍上回つていること、ところで、一般に流域平均雨量とは、直接測定できないものであり、当該流域内の雨量観測所の地点雨量から各種の手法により算出されるものであるところ、その手法のうち、ティーセン法は、その計算に際して個人誤差が介入するおそれがなく、また計算上不合理な点がないため、最も広く用いられている手法であること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、「河川砂防技術基準調査編」によれば、ティーセン法による計算結果の正確性を保持するためには、当該流域内に設置されている観測所の数が多いことが必要である(ちなみに、前掲書では、降水量観測所の配置密度について、五〇平方キロメートルごとに一観測所を設置することが一つの基準とされている。)うえ、地形による降雨の影響の強い地域ではそれを考慮して観測所が配置されているのでなければかなりの誤差を生ずることがあること、また、流域の一部のみに豪雨があつた場合には平均雨量を求めると小さめの値が出てしまうことが指摘されているところ、本件においては前記のとおり、白鳥、八幡、葛原、美濃及び岐阜の五観測所の記録のみを資料としたものであるから、右に述べたティーセン法の特質に照らし、特に全流域面積が一九八五キロメートルに及ぶ長良川の、忠節地点より上流域の流域平均雨量を五観測所の記録のみによつて算出している点を考慮すると、建設省報告書記載の流域平均雨量の数値の正確性には疑問の余地があるといわざるを得ない。しかしながら、本件においては流域平均雨量に関する絶対的に正確な数値を論定するまでの必要はなく、長良川における本件洪水及び既往主要洪水相互間の相対的な比較をすれば足りるのであつて、建設省報告書においては、そのような目的から比較のための共通の基盤を設定するため、各洪水に共通する観測値に資料を限定したものと認められるから、その手法において不合理な点はなく、右のようにして算出された流域平均雨量も、総体的に見て、前記(二)の本件降雨の状況、前記(1)の降雨量に関する各指摘の傾向とよく合致することからすれば、その数値自体の絶対的正確性はともかくとして、流域平均雨量の概況及び各洪水相互間の流域平均雨量に関する相対的関係をよく表しているものと見ることができる。したがつて、右の流域平均雨量の数値に若干不正確な点があつたとしても、長良川における主要洪水相互間の比較に関する前記認定の妨げとなるものではない。

そうだとすれば、本件降雨は流域平均雨量の観点から見ても既往最大であつたということができる。

(3) 再現期間の比較

建設省報告書によれば、同報告書において、長良川の主要洪水である明治二九年九月洪水、昭和三大洪水及び本件洪水の際の各日雨量の再現期間を、各流域平均雨量を用いて計算し、もつて本件降雨の検討を行つているが、右再現期間の計算の結果は表13のとおりであつて、右によれば昭和三大洪水時の各日雨量及び四日雨量の再現期間がいずれも五〇年以下であり、既往最大といわれる明治二九年九月降雨の再現期間が日雨量につき一六年、二日雨量につき四三年、三日雨量につき九八年、四日雨量につき二四八年であるのに対し、本件降雨の再現期間は明治二九年九月降雨のそれをも大きく上回り、日雨量につき一四八年、二日雨量につき六九三年、三日雨量につき五五三年、四日雨量につき六〇四八年となつていることが認められる。

ところで、右検討結果を評価するにあたつては、次の各点を留意する必要がある。すなわち、<証拠>、建設省報告書及び「河川砂防技術基準調査編」並びに弁論の全趣旨を総合すると、再現期間とは、水文統計学上、既往の資料から、ある水文量がある特定の値以上になる年超過確率を解析計算により推計し、その逆数をとつた値をいうものであるが、右解析結果の値の信頼度を高めるためにはその資料はできるだけ長期間のものをそろえる必要があるため、その資料採取の期間(以下資料期間という。)が短いとその信頼度は低くなるとされていること、また、統計学上、確率モデルに基づく議論の有効性には一定の限界があり、資料の分布する範囲を超えてまで資料内の傾向を拡げていくことは危険であるとされており、水文要素の確率解析においても、外挿による推定を行う場合には、特に分布の端部に対する分布曲線(確率モデル)の適合性などに注意が必要であるとされていること、本件においては、明治二六年から昭和五〇年までの八三年間の長良川流域の各年最大流域平均雨量を用いたものであり、また、幾つかの手法により再現期間を算出したもののうち、最も一般的な対数正規分布法によつて再現期間を求めたものが表13であることが認められる。

以上認定の事実に基づいて考えるに、建設省報告書の採用した算出方法は、明治二六年から昭和五〇年までの八三年間の長良川流域の雨量観測値を資料として用いることにより、資料期間を可能な範囲で長く採つているということができるが、その反面として資料とすべき観測値の数が限られたことの結果として再現期間算出の基礎となる各年最大流域平均雨量の精度に問題を生じ、再現期間の数値そのものの正確性にも影響を及ぼしているものであり、また、同報告書において採用された対数正規分布法が一般的に採用されている合理的な手法であるとはいいながら、前記のとおりの限界があることを考慮すると、表13の再現期間の数値を評価するに際しては、これをおおよその傾向を示すものとして、検討対象とした各降雨の規模の大小を相対的に比較する手掛りとして使用する場合であれば格別、右の数値自体を絶対的なものと評価して使用することは許されないものというべく、したがつて、右の数値自体を援用する場合には他の資料と総合して検討を行い、必要があれば修正を施すなどの慎重な検討を行う必要があるというべきであり、また、再現期間の数値が資料期間をはるかに上回る異常な値を示すときは、その精度にかなりの問題があるものとして特に慎重にこれを評価すべきである。もつとも、本件においては、表13の再現期間の数値を手掛りとして本件降雨と長良川の既往降雨等との規模の大小を概略比較できれば足り、それ以上に各降雨の再現期間の隔差を数値的に厳密に論定するまでの要をみないことは明らかであるから、表13の再現期間の数値に多少の不正確な点があつたとしても、それがおおよその傾向を示すものである限り、右認定の資料に供することができるというべきであり、したがつて、右の再現期間の数値の絶対的正確性の有無を追究することは、本件に有用ではない。

右に述べた点を十分考慮して前記再現期間に関する検討の結果を評価すると、再現期間の数値自体の正確性は別として、前記(二)の本件降雨の状況、前記(1)の降雨量に関する各指標の傾向、前記(2)流域平均雨量の傾向等を考慮すると、本件降雨における各日雨量の再現期間が、明治二九年九月降雨及び昭和三大洪水時のそれの各再現期間を大きく上回ることは明らかであり、これを四日雨量の再現期間についてみても、本件降雨の六〇四八年という値自体は直ちに信用できないとしても、明治二九年九月降雨が二〇〇年程度、昭和三六年六月降雨が三三年程度であるのに比べると、本件降雨の再現期間がこれらの値をはるかに超える大きなものであつたことは否定することができない。

(4) なお、原告らは、本件降雨の規模を検討するに際しては、長良川流域に限定せず、木曽三川流域の降雨について検討すべきであり、また、木曽三川流域で一週間に一〇〇〇ミリメートル程度の降雨は、明治二〇年ころの観測開始以来九〇年の間に、明治二九年九月降雨、昭和三六年六月降雨及び本件降雨の三回生起しているのであつて、このような本件降雨程度の降雨は三〇年に一回生起しているというのが実感であり、右実感からかけ離れた右再現期間の値は信用できないと主張する。

しかしながら、本件において、本件降雨の規模を検討するのは、本件河川の管理の瑕疵の有無を判断するにあたり考慮すべき諸般の事情の一つとしてこれを明らかにしようとするものであるところ、我が国の河川の管理が当該河川流域の既往の降雨からその洪水流量を求め、これを資料として河川改修計画を作成、実施していこうとするものであり、以上の方法が不合理であるとか、不十分であるとは考えられない以上、本件降雨の規模を検討するにあたつては、長良川流域の既往の降雨を資料とすれば足りるのであつて、この点につきこれと見解を異にする原告らの主張は採用できないものである。そのうえ、再現期間とは、統計学上算出した確率を意味するものであつて、実際に再現期間の間隔どおりに降雨現象が生起することを意味するものでないことは明らかであるし、長良川流域の既往の降雨を資料として算出した再現期間は前記のとおりであるから、原告らの右主張は失当であることが明らかである。

2本件洪水

(一) 本件洪水の状況

<証拠>並びに建設省報告書を総合すると、

(1) 前記1(二)のとおりの本件降雨による墨俣地点における長良川の水位の時間的変化は図16のとおりで、長良川流域内の降雨量の時間的変化に対応して五山(破堤時までは四山)に及ぶ水位のピークを記録したこと、このうち破堤時までには、昭和五一年九月九日午前九時ころに最高水位TP11.53メートルを示したのち、一〇日午前六時ころにTP9.81メートル、一一日午前二時ころにTP11.38メートル、一二日午前五時ころにTP11.36メートルの各ピークを示したが、いずれも墨俣地点における計画高水位TP12.16メートルに迫るものではあつたが、これを下回るものであつたこと(墨俣地点における長良川の水位が破堤時までに四山のピークを示したこと、いずれのピークも計画高水位を下回るものであつたこと及び最高水位が右のとおりであつたことは当事者間に争いがない。)、

(2) そこで、木曽三川における洪水状況を比較すると、前記1(二)のとおり本件降雨が長良川流域に長時間にわたつて集中したために、長良川においては、木曽川及び揖斐川に比較し、高い水位が長時間継続したことが特色となつており、ちなみに、警戒水位を上回つて水位が継続する時間(以下洪水継続時間という。)についてみると、木曽川の建設省犬山水位観測所地点では三時間、揖斐川の建設省万石水位観測所地点では三六時間であるのに対し、長良川の墨俣地点では実に九一時間(破堤時までは六七時間)に及んでいること、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) 既往洪水との比較

(1) 洪水継続時間の比較

建設省報告書に上記認定事実を総合すると昭和二八年以降昭和五一年九月までに警戒水位を越えた三八回の洪水を対象として、本件洪水と既往の洪水との最高水位及び洪水継続時間の比較を行うと、昭和二八年から同五一年までの年最高水位の経年変化は図21のとおりであり、既往洪水の中では昭和三大洪水が際だつて高い最高水位を示しているが、本件洪水の最高水位もほぼこれに匹敵するものであること、また同期間の年最大洪水継続時間の経年変化は図22のとおりであり、そのうち第一位から第四位までのものは表14のとおりであるが、最高水位の高い昭和三大洪水と本件洪水とを比較すると、同図のとおり、昭和三四年九月洪水及び昭和三五年八月洪水がいずれも二十数時間、昭和三六年六月洪水が約四〇時間を記録したのに比し、本件洪水は九一時間(破堤時まで六七時間)を記録したことは前記のとおりであるから、際だつて長時間継続した洪水であつたこと、さらに昭和三大洪水と本件洪水との洪水の波形を比較すると、本件洪水は破堤時まで四波からなる洪水であつたのであるが、図25のとおり第一波の洪水のみで既に昭和三四年九月洪水及び昭和三五年八月洪水に匹敵し、第二波までの洪水で昭和三六年六月洪水に匹敵しており、これによれば、昭和三大洪水規模の洪水が三つと中規模の洪水が一つ引き続いて発生したことに相当する洪水であり、また、図29のとおり昭和三大洪水が連続的に来襲した状態を更に上回るほどの大洪水であつたことが認められる。

もつとも、建設省報告書によれば、本件洪水の継続時間とされる九一時間はいわゆる延べ時間であつて、昭和五一年九月九日から一〇日にかけて警戒水位以上の水位が約三四時間継続した後いつたん警戒水位を下回つた時間が一一時間弱あり、その後一一日から一三日にかけて五七時間(破堤時までは約三三時間)の洪水継続時間を記録したというものであるから、右のとおり中断時間を挾む点において完全に九一時間の洪水継続時間を有する洪水と同一視することは正確ではないとの議論もあり得よう。しかしながら、他方、いつたん警戒水位以上の水位にさらされることにより生じた堤体内部の浸潤状態等の変化は、堤防が土によつて構成されていることよりして、水位が警戒水位以下に低下したからといつて一一時間程度の短時間のうちに消滅するものではないことは容易に推認し得るところであり、そうだとすれば、さきの洪水の影響が残つている間はその影響が後の洪水による影響に加重される結果となることは明らかであるから、その場合に前後の洪水を全く別個の洪水として取り扱うことも相当性を欠くものというべく、むしろ、高水位の継続が堤体に及ぼす影響を調べるという観点からは、右の場合においては前後の洪水を継続するものとみなして一体として評価することの方が合理性があるものといえよう。そして、建設省報告書によれば、同報告書も、この観点から、洪水継続時間の処理について、河川水位が警戒水位を上下して増減し、警戒水位以上の水位の間に警戒水位を下回る時間が挾まれている場合、警戒水位を下回る時間が二四時間以上であれば、その前後を別個の洪水として取り扱うこととし、二四時間未満であれば、前後の時間を合算することとしていること、本件の場合警戒水位を下回る時間が約一一時間であるのでその前後の時間を合算して計算していることが認められる。

そうだとすると、本件洪水の継続時間を前記のように九一時間(破堤に至るまで六七時間)と評価することはさして不合理とは解せられないところであり、仮に中断時間の存した点を考慮に入れるとしても右の継続時間を大幅に下回る評価をすることは相当ではなく、むしろそれに準ずるとの評価をすべき場合であると解せられるから、いずれにしても本件洪水の継続時間は昭和三大洪水のそれを大幅に上回るものであつたと評価すべきであることは明らかである。

もつとも、<証拠>によれば、明治二九年九月洪水について穂積村量水所の水位記録が存在すること、右水位記録によれば、穂積村量水所において明治二九年九月六日8.8尺、同月七日16.2尺、同月八日19.5尺、同月九日17.5尺、同月一〇日17.8尺の日最高水位が記録されている事実を認められ、これによれば明治二九年九月洪水も洪水継続時間のかなり長い洪水であつたことが窺われ、本件洪水との比較が問題となり得るところである。しかしながら、河川は場所によつてその流下断面を異にするから水位も場所ごとに変動するものであるところ、右水位記録は本件破堤箇所に近い墨俣水位観測所とは場所を異にする穂積量水所の記録であるうえ、右水位記録はいわゆるTP表示ではなく、同量水所における量水標表示の水位であつて、その基準点のとり方も明らかとされていないから、まず、水位の点において本件洪水との比較の対象に供することは困難である。さらに、堤防の安全性に影響を与えるのは警戒水位以上の高水位の継続時間(洪水継続時間)であると解されるところ、同量水所において警戒水位に相当する値は明らかとされていないうえ、右水位記録は時刻水位記録ではなく、一日に一回の観測値でしかなく、かつ、観測時間も不明であることは右記録自体から明らかであるから、右記録からは水位の増減状態はもちろん警戒水位を超える高水位の継続時間も明らかにし得ないというべきであり、したがつて、右水位記録だけでは、本件洪水との比較をなし得ないというほかはない。

(2) 河川水の浸透作用の大きさの比較

河川水の浸透作用による破堤現象においては、堤体に対する浸透作用の大きさが問題となるところ、建設省報告書によれば、洪水継続時間が長くかつ河川水の水位が高いほど堤体内部に対する浸透が進行するものであり、すなわち、河川水の堤体内部への浸透距離(浸潤線の先端までの距離)の大きさ(Xf)は河川水の水位(Ho)と洪水の継続時間(T)との積に比例し(Xf=f(HoT))、河川水により生じる堤体内部の浸透面積(浸潤領域)の大きさ(A)は河川水の水位(Ho)の三乗値と洪水継続時間(T)との積に比例すること(A=g(Ho3T))が知られていること、そこで、建設省報告書においては、河川水の堤体への浸透作用の大きさを検証するため、浸透距離に関する指標として水位と時間の累積和(∑HT)を設定しこれを浸透能ファクターと呼ぶこととし、また浸潤領域の大きさに関する指標として水位の三乗と時間の累積和(∑H3T)を設定しこれを浸潤域ファクターと呼ぶこととしたうえ、昭和二八年以降昭和五一年九月までに警戒水位を越えた三八回の洪水を対象に右各ファクターについて本件洪水と既往の洪水とを比較することにより、本件洪水の規模の検討を行つていること、その検討結果によると、昭和二八年から同五一年までの年最大浸透能ファクターの経年変化は図23のとおりであり、同期間の年最大浸潤域ファクターの経年変化は図24のとおりであること、また、そのうち、浸透能ファクター及び浸潤域ファクターの各指標について、第一位から第四位までのものは表14のとおりであること、そして、右によれば、昭和三六年六月洪水においては浸透能ファクターが約一八〇m・hr、浸潤域ファクターが約四三〇〇m3・hrとの値を示したのを別とすれば、昭和二八年以降の既往洪水におけるこれらの値は特に大きな値とはなつていないが、本件洪水においては、浸透能ファクターが約四〇〇m・hrと昭和三六年六月洪水の約2.2倍の値を示し、また、浸潤域ファクターが約九八〇〇m3・hrと昭和三六年六月洪水の約2.27倍の値を示していること、以上の事実が認められる。そうだとすれば、洪水の浸透作用の大きさは昭和三大洪水のそれをはるかに上回るものであつたことは明らかである(もつとも、本件堤防に対する破堤外力の規模の検討に際しては、破堤に至るまでの六七時間の間の浸透作用の大きさに限定して検討すべきであり、更に本件洪水の継続時間が中断を挾んでいる点も考慮すべきだとしても、本件洪水の右各指標の値が昭和三大洪水時のそれらを上回るものであつたことは容易に推認できる。)。

(3) 再現期間の比較

建設省報告書によれば、洪水継続時間、浸透能ファクター及び浸潤域ファクターの各指標について昭和二八年から昭和五〇年までの資料により算出した再現期間は表14のとおりであり、これによれば、各指標の再現期間の既往最大値はいずれも昭和三六年六月洪水のものであり、洪水継続時間について四三年、浸透能ファクターについて三〇年、浸潤域ファクターについて三三年であつたところ、本件洪水の再現期間は洪水継続時間について一三八一年、浸透能ファクターについて四七四年、浸潤域ファクターについて三〇二年となり、昭和三大洪水の値を大幅に上回つていることが認められる。もつとも、右の再現期間の数値は昭和二八年以降の二三年間を資料期間として算出したものであるから、それだけでは、数百年以上の再現期間を算出するためのものとしては、資料期間の長さが十分であるとはいえず、したがつて、再現期間の数値自体は直ちに信用することができない。しかしながら、他方前記(1)、(2)において認定した事実に照らし、右の再現期間の値は本件洪水と既往洪水との相対的関係をよく表わしていると認めるに足りるから、本件洪水の規模は右の再現期間の観点からみても昭和三大洪水の規模を大きく上回るものといわざるを得ない。

(三) 高水位の継続と堤体内の降雨の相関

建設省報告書によれば、昭和二八年以降の既往洪水及び本件洪水について、洪水継続中の堤体上の降雨量の経年変化は図26のとおりであり、これと浸透能ファクターとの重なり具合は図28のとおりであること、右によれば洪水継続中の堤体上の降雨量については、昭和二八年以降の既往洪水中では昭和三六年六月洪水時の降雨量が大きいが、本件洪水時の降雨量はこれを大幅に上回るものであつたこと、また、これと浸透能ファクターとの重なり具合について、昭和三大洪水と本件洪水との経時的変化を比較すると、昭和三四年九月洪水時には洪水継続中の堤体上の降雨はほとんどなく、昭和三五年八月洪水時にも水位のピークの終了後に若干の降雨があつたにとどまり、昭和三六年六月洪水時には堤体上の降雨量はかなりの量であつたが、大部分が水位のピークに達する数時間前までに降り終つているのに対し、本件洪水時には、特に第三及び第四の水位のピーク時に浸透能ファクターと堤体上の降雨とがあわせて増大するという、昭和三大洪水時にはみられない傾向が現れており、第四のピーク時の本件破堤時までの間にその傾向が著しくなつていること、さらに、浸透能ファクターと堤体上の降雨との複合を考えて求めた再現期間をみると、図27のとおり昭和二八年以降の既往洪水の中では昭和三六年六月洪水が特に大きい値となつているが、本件洪水はそれをはるかに上回り、極めて高い水位と規模の大きい堤体上の降雨とが重なつた特性を有するものといえること、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3本件降雨・洪水の規模

本件降雨の特徴は豪雨が長良川流域に集中し、その継続時間が著しく長くなつた点にあり、その結果、本件降雨の降雨量は昭和三大洪水時における各降雨量を大きく上回つているだけでなく、長良川流域において既往最大といわれる明治二九年九月降雨の際の降雨量をも上回つたものであり、しかも、その隔差は一日雨量、二日雨量、三日雨量と日を追うに従つて大きくなり、本件洪水の原因となつた四日雨量についてみると、明治二九年九月降雨の1.31倍となつていること、本件降雨が既往最大であることは、総雨量、各日雨量、流域平均雨量及び各日雨量の再現期間の各指標の示す値の上からも明らかであること、本件降雨の継続時間が著しく長かつたことにより、本件洪水の洪水継続時間は九一時間(破堤時までは六七時間)を記録しており、これは昭和三大洪水時のそれに比較してみても著しく長く、継続時間の観点からすると、いわば昭和三大洪水規模の洪水が三つと中規模の洪水が引続いて来襲したことに相当するものであつたこと、そのうえ、本件洪水は高水位の洪水継続時間中に堤体上への大規模な降雨が重なつた点において昭和三大洪水時には見られない特徴を備えていたものであり、その結果として堤体に対する河川水の浸透作用及び雨水の浸透作用の値は異常に大きくなつたことが推認されること、このことは、洪水継続時間、浸透能ファクター、浸潤域ファクター、上記三指標の再現期間及び浸透能ファクターと堤体上への降雨との複合に関する再現期間の各指標の示す値からも明らかに看取されるものといわなければならないことは、上記認定のとおりである。

してみると、本件降雨・洪水の規模は長良川における河川改修の防御目標である昭和三大洪水のそれを大きく上回るものであつたこと、本件降雨の規模が、木曽川水系工事実施基本計画が予定していると考えられる降雨の再現期間及び継続時間に関する計画規模を上回るものであることはいずれも明らかであるうえ、洪水継続時間の点についても、本件洪水が同計画の計画規模を上回るものであつたことは容易に推認できるものといわなければならない。

なお、以上のとおり本件降雨・洪水がこれまでにない大きな規模のものであつたことは本件降雨・洪水の際の長良川の堤防の状況からも窺われるところである。

すなわち、<証拠>、建設省報告書並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件降雨・洪水により長良川のいたるところで堤防に法崩れ、亀裂等の損傷が発生し、そのため、長良川の各所において、既に九月九日から、地元住民及び自衛隊の協力を得た地元水防団により、かつて実施されたことのなかつた大規模な水防作業が実施されていたのであり、長良川は全川にわたり、いずれの箇所において破堤に至つてもやむを得ないような極めて危険な状態にまで至つたものであること、以上のとおり、本件降雨・洪水による長良川の堤防の被災の特徴は、その被災箇所の数が多かつたことのみならず、被災の度合が極めて大きかつたことにあるといえるのであつて、ちなみに木曽三川の状況をみると、木曽三川の直轄管理区間における堤防等河川管理施設の被災箇所は一五六か所(木曽川八か所、長良川七五か所、揖斐川七三か所)に及び、このうち破堤した箇所又は被災の度合が高く破堤のおそれがあるため緊急に復旧工事を行つた箇所は四六か所(長良川三四か所、揖斐川一二か所)に達しているが、被災箇所は長良川及び揖斐川に集中しており、被災の度合の高い緊急復旧箇所は長良川に集中していることが明らかであること、また昭和三大洪水時と比較しても本件降雨・洪水による長良川の堤防の被災がはるかに大きなものであつたことが窺われるのであつて、例えば、長良川の堤防(距離標30.2キロメートルから60.2キロメートルの区間)について、昭和三六年六月降雨・洪水による被災箇所は二一か所であつたところ、その後堤防がより整備されていると思われるにもかかわらず、本件降雨・洪水による主な被災箇所は、その三倍に相当する六六か所に達したものであること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  本件堤防の築堤管理状況と強度

1本件堤防の改修の経過

国土研報告書及び建設省報告書によれば、本件破堤箇所付近は、江戸時代には森部、中村、大明神、中須、北今ケ淵、牧及び墨俣の各輪中(輪中堤で囲まれた地域をいう。)が複雑に分布しており、本件破堤箇所はこのうち森部輪中に含まれるが、この森部輪中堤は宝暦治水工事が行われた一七七五年ころには既に形成されていたと推定され、さらにそのころから江戸時代末期にかけて幾度かの嵩上げが行われたと思われるところ、本件堤防を含め本件破堤箇所付近の堤防は、主としてこの在来の輪中堤に沿つてその上に拡築されたものであつて、その明治時代以降の築堤及び改修の経過は次のとおりであること、すなわち、

(一) まず、明治二九年から、明治改修(前記二2(二)(1))の一環として、在来の輪中堤を結ぶ形で中村川、中須川を締切り連続堤とする改修が行われたが、輪中堤自体には改修の手は加えられなかつたこと、

(二) 次に、大正一五年から昭和五年にかけて、木曽川上流改修計画(前記二2(二)(2))に基づき、在来の輪中堤を利用し、堤防法線を整正しながら堤防を拡築する新堤築堤工事が行われたが、特に本件破堤箇所においては、旧堤(在来の輪中堤)法線がその堤内側に存した旧丸池を迂回するように堤外側に湾曲していた(図10参照)ため、旧堤を三メートル前後嵩上げして天端幅を拡幅するとともに、旧丸池の東半分を埋め立てたうえ、専ら旧堤堤内側法面にのみ腹付けし、その堤外側法面を削り取つて、堤防法線を整正する工事が行われたこと(図1参照)、

(三) さらに、昭和三五年、木曽川改修総体計画(前記二2(二)(3))に基づき、堤防表側の拡幅のため表小段を設置する工事が行われたこと、

(四) なお、現行の木曽川水系工事実施基本計画に基づき、堤防裏側の拡幅工事等が行われる予定となつていたところ、これが実施されないうちに本件破堤に至つたこと(前記第二の三)、

以上のとおりの改修の経過であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、本件堤防に関する右改修工事の予定が、長良川の他の堤防と比較して、河川管理者の怠慢により著しく遷延させられていることを認めるに足りる証拠はない。

2  本件堤防の構造

(一) 本件堤防の形状

<証拠>、国土研報告書及び建設省報告書並びに証人大塚栄一の証言を総合すると、前記1の改修の結果、本件破堤当時の本件堤防の形状は次のとおりであつたこと(なお、堤防とは、その横断面において、表法尻から裏法尻(犬走りが存する場合は犬走りの堤内側端をいう。)までの堤防敷上の盛土部分をいうものであるところ、ここでは、この意味での堤防の形状に限定して述べることとし、本件堤防より堤内側の地盤の形状については後記(2)で述べることとする。)、すなわち、本件堤防は、堤防高がTP約12.8メートルで計画高水位10.69メートルより約二メートル高く、天端幅が約七メートルで、表法面には幅約三メートルの表小段を備え、裏法面には幅約四メートルの小段を備えていたうえ、裏法尻部分には幅約六メートルの犬走りを有していたこと、また、堤防天端は兼用道路となつておりアスファルト舗装がなされ、堤体表面は芝草等で覆われており、長良川の一般的な堤防の状態と同じであつたが、犬走り部分には、本件堤防の堤内側に存した丸池へ不法に塵埃が投棄されるのを防ぐため昭和五〇年一二月に設置されたトタン塀が存していたこと、なお、昭和五〇年九月一〇日撮影の航空写真を図化して作成した本件堤防及びその付近の平面図は図31のとおりであり、昭和四三年に実施された実地測量に基づき作成した、図31の測線ナンバー五〇における本件堤防の断面図は図32のとおりであつて、本件破堤当時も図31及び図32と同様の状況であつたこと、以上の事実が認められる。

なお、原告らは、本件堤防断面について、右認定にかかる図32の堤防断面(図3の1)を主張する。しかしながら、鑑定人鵜飼恵三による鑑定の結果(同鑑定人は書面及び口頭により意見を述べたものであるところ、そのうち書面による陳述を鵜飼鑑定書といい、口頭による陳述を鵜飼鑑定人の陳述といい、両者を鵜飼鑑定の結果と総称する

こととする。)によれば、原告ら主張の堤防断面は、鵜飼鑑定書二頁図1・3の堤防断面と同一であるところ、右堤防断面は昭和五〇年の航空写真の図化図面(鵜飼鑑定書七頁図2・2)に基づき作成したものであることが認められるが、右図化の手法及びその精度は明らかではなく、むしろ右図化図面と鵜飼鑑定書九頁図2・4の昭和三六年の航空写真の図化図面とを対比すると、いずれも本件堤防の同一箇所の断面を図化したものであるにもかかわらず、各点の地盤高及び各点間の距離に説明のつかない相違点が多々あることからすれば、その精度はそれほど高くはなかつたことが窺われるものである。したがつて、原告ら主張の右断面は、以上の事実及び<証拠>に照らし、採用できないといわざるを得ない。

(二) 平場の有無について

本件堤防より堤内側の地盤の形状、すなわち丸池池底の形状については当事者間に争いがあり、原告らは右形状は図の3の1のとおりで、丸池の水際から池底にかけての傾斜は約三四度で、かなり急勾配となつていたと主張するのに対し、被告はこれを争い、堤防敷端から先に幅約一七メートル(犬走りとあわせて幅約二三メートル)の平場が存在したからその間の傾斜は緩やかであつた旨主張する(なお、被告の主張する「平場」という語句が河川法及びその附属法令上の用語でないことからすれば、被告は右語句を堤防の外に存在する「平らな場所」というほどの意味で使用しているものであつて、河川法上平場という概念があり、かつそれに該当する施設が存在したと主張しているものでないことは明らかである。)ので、この点について検討する。

まず、丸池池底形状に関する原告らの主張について見てみるに、<証拠>、国土研報告書、証人大平章朔の証言並びに鵜飼鑑定の結果中には、原告らの右主張に沿う各記載部分及び各供述部分が存する。

しかしながら、<証拠>によれば、昭和五〇年の航空写真に見られるとおり、昭和五〇年九月当時、本件堤防の犬走り部分から丸池にかけて、堤防敷端(図31参照)から約六ないし約八メートルの範囲まで葦が繁茂していたこと及び葦は通常水深〇ないし一メートルの池底等に生育するものであることが認められるから、丸池の池底のうち葦の生育する部分、すなわち堤防敷端から約六ないし約八メートルの部分は、水深約一メートル未満の深さであつて、その間の傾斜は比較的緩やかであつたと推認できる。さらに、<証拠>を総合すると、昭和五〇年の航空写真からは、前記葦の生育する部分の内側に堤防の横断方向ではほぼ丸池の幅一杯に、かつ、堤防横断方向では少なくとも幅約七メートルにわたり水生植物が繁茂していたことが判読できるところ、戦前のころ丸池の一部にヒシ等の浮葉性植物が生育していたことが現認されていることなどから、右航空写真に写つている右水生植物が右のヒシ等の浮葉性植物であつたと推認できなくはないうえ、前掲乙第三〇号証の二ないし四によれば、浮葉性植物は通常水深1ないし2.5メートルのところに生育するものであり、そのなかでもヒシの生育限界水深は通常1.9ないし2メートルまでであることが認められるから、右水生植物が繁茂していた部分も水深2ないし2.5メートル未満の浅い部分であつたとの合理的な疑いを払しよくすることができない。<反証排斥略>、他に原告ら主張事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると、丸池池底の形状に関する原告らの前記主張は結局採用できないこととなる。

そこで、さらに丸池池底の形状に関する被告の主張について検討するに、<証拠>、建設省報告書並びに証人大塚栄一の証言中には、被告の右主張に沿う各記載部分及び供述部分が存在するが、右の各記載部分及び供述部分は、以下に述べるところにより、にわかには採用することができない。

(1) <証拠>によれば、昭和四三年の測量に基づき作成された図31の測線ナンバー五〇の測量図(断面図)においては、堤防敷端から約一七メートルの地点における丸池池底の地盤高がTP約三メートル(水深約八〇センチメートル)で、丸池池端から同地点までなだらかな傾斜の続く形状となつており、被告の主張する丸池池底の形状と符合する形状となつていることが認められるところ、<証拠>によつて認められる右測量の目的及びその方法などに照らすと、右測量図は実測による正確なものであるとも考えられるのであるが、他方、右各証拠によれば、右測量を実施した大塚栄一は、丸池部分については通常の方法により実測した旨供述するものの、その詳細については何ら記憶していないことが認められるのであり、右事実に、以下に述べるところを考えあわせると、右測量図のうち丸池池底に関する部分については、実測によるものとは断言し難いといわざるを得ない。

(2) 昭和五〇年九月当時の丸池の葦の生育状況について、仮に丸池池底の形状が前記(1)の測量図のとおりとすれば、葦は堤防敷端から約一七メートルの範囲まで生育することが可能であるにもかかわらず、葦が昭和五〇年の航空写真に見られるとおり堤防敷端から約六ないし約八メートルの範囲に生育しているにすぎないことは前記のとおりである。また、前記ヒシ等の浮葉植物は通常水深1ないし2.5メートルの池底に生育するものであるから、右植物の生育状況から推認される丸池の池底高と前記(1)の測量図とは必ずしも一致するとはいえないものである。

(3) <証拠>には、新堤築堤工事の際、本件堤防裏法尻から堤内側に幅約二〇メートルの平場を造成した旨の記載部分があるが、他方、<証拠>には、①新堤築堤工事の際本件堤防裏法尻から堤内側に平場を造成した事実はなく、②但し、新堤築堤工事終了後の昭和六、七年ころ、本件堤防裏法尻から堤内側に約三間の幅の平場状の埋出部を造つた旨の各記載部分も存するのであつて、以上を比較検討し、さらに右②の各記載部分が、原告ら主張のとおりの写真であることにつき争いのない甲第二七号証及び鵜飼鑑定書によつて認められる、本件堤防裏法尻に接して幅三ないし四メートルの水田が昭和三六年五月当時存在した事実と符合することを考えあわせると、乙第三二号証の一、二中の前記記載部分が、これと反する前記各記載部分に比し、信用性が高いとはいい難い。

(4) なお、<証拠>(大森地先地質調査報告書、以下地質調査報告書という。)によれば、本件破堤後の地質調査の結果により、地質調査報告書五頁図2調査地点位置図(1)のボーリングナンバー一一の地点において、破堤前存した地盤が破堤後もTP1.44メートルの高さまで残存していたことが認められ、したがつて、右ナンバー一一の地点における破堤前の丸池の深さは水深二メートル未満であつたことが認められる。しかしながら、地質調査報告書における右ナンバー一一の地点の特定には矛盾があり、同地点の堤防敷端からの距離が約四メートルであるか、約九メートルであるかを決することができないうえ、仮にこれが約九メートルであつたとしてもその残存地盤高はTP1.44メートルであるにすぎないから、それだけでは被告主張事実の根拠とはなし得ない。

以上述べたところを総合すると、本件堤防より堤内側の地盤の形状、すなわち丸池池底の形状については、この点に関する被告の主張も採用できないといわざるを得ないのであつて、結局、堤防敷端から約六ないし約八メートルの部分に水深約一メートル以下の深さの地盤が存したことが認められるほかは、右形状がどのようであつたかを認定するに足りる証拠はない。

3  本件堤防の管理状況

(一) 堤防管理の手法

そこで、堤防の安全性の検証方法等の堤防管理の手法について検討するに、<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

(1) 堤体及びその基礎地盤は、前記第二の二1(四)で見たとおり、平面的にも断面的にも均質ではなく、あるいは一定の規則性を有していないのが通例であるから、堤体及びその基礎地盤構造を探るためある地点のボーリング調査をしたとしても、その結果をもつて他の地点の内部構造を推定することはできないのが通常であつて、したがつて、極めてちゆう密かつ高度な調査による以外は、長大な堤防のすべての堤体及び基礎地盤の内部構造を明らかにすること、及びこれらの堤体及び基礎地盤に対する洪水時の流水の影響力を解析的に求め、流水の作用に対する安全性を事前に定量的に確認することは困難である。そのうえ、堤体に多くのボーリング孔を開けることはむしろその安全性を損うことになるのであり、しかも、全川にわたつてこのような調査をすることは事実上不可能である。また、洪水は自然現象であつて人工的に再現することができないため、堤防を設置するにあたり、実用負荷で検証し、その安全性を確認したうえで実用に供することができないという堤防の機能限界の検証上の制約が存する。

(2) 堤防の安全性の検証方法として解析的手法ないしは実験的手法を用いることには上記のような制約があるため、主として経験的手法による検証方法が採られている。すなわち、堤防は土で造られているため、堤体ないしその基礎地盤に破堤を引き起こすほどの欠陥が存在するとすれば、堤体外部に沈下、陥没、亀裂、法すべり等の形でその兆候が現われることが経験的に知られており、したがつて、右のような外形的変化を把握することにより、堤防の弱い部分を予知するというのが、その手法の一つである。また、堤防は土で造られているため、通常は時間が経過するにつれて圧密等によりその強度を増していくものではあるが、大きな洪水を受けると、全く無傷で洪水を疎通させることはほとんどなく、堤防の弱い部分に洗掘や漏水による法崩れ等の損傷が発生する。こうした堤防の損傷は通常の場合小さいものにとどまり、あるいは水防活動が実施されることにより右損傷から直ちに破堤に至ることは少ないけれども、この損傷によつて堤防において相対的に強度の弱い箇所が明らかとなり、その箇所に補強措置を講じることにより、順次堤防の機能を高めていくというのが、現在行われている堤防管理の手法である。このように、洪水のような自然現象を対象とする場合においては、過去の実績から得られる知見が最も重要であり、調査、解析によりそれ以上の成果を期待することは困難であるため、堤防がどのような洪水に対して安全性を有するかについては、治水上の経験に基づきその堤防について実際に経験した洪水等を手掛りとして検証していくほかはないものである。

そして、以上の手法がとられていることの帰結として、過去に発生した大洪水によつて何ら損傷等が発生しなかつた堤防については、その堤体や基礎地盤について詳細な調査を行う必要性はなく、また特段の補強措置を講じる必要はないとの考えで堤防の管理が行われている。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、右認定事実及び前記第二の二1(二)ないし(四)において述べたところを総合すれば、右に述べた堤防の管理の手法は合理的なものとして是認し得るものといえる。

(二) 本件堤防の管理の実態

<証拠>を総合すると、昭和五一年当時の本件堤防の管理については、本件破堤箇所をその管轄区域内に含む木曽川上流工事事務所長良川第二出張所により、堤防の維持修繕、河川巡視などが実施されていたもので、その状況は以下のとおりであつたこと、すなわち、堤防の維持修繕については、堤防の機能を確保するため堤防の除草、塵埃の除去、河川敷の竹木の伐採、堤防天端の補修、既設の護岸、水制及び根固め工の補修、堤防法面の整備等の作業が必要に応じ実施されており、例えば堤防の除草作業は、毎年、出水期等の諸条件を勘案して効果的であるとされる時期に実施されていたこと、また、河川巡視については、堤防その他の河川管理施設の点検を行うため、平常時において日常巡視及び出水期前の定期点検が実施されるとともに、出水時において特別に河川巡視が実施されており、このうち、日常巡視としては、毎日(日曜、祭日を除く。)一、二回、河川巡視員二名が管轄区域内を巡回し、通常はパトロール車で堤防天端の兼用道路等を通つて堤防等に異常がないかを確認するにとどまつたが、特別の調査などのある場合など堤防を歩いて巡視することもあつたこと、また、出水期前の定期点検としては、毎年出水期前に、特に樋門、樋管等の河川管理施設につき重点的に、出水期にむけての必要な点検が行われていたこと、なお、前記の堤防の除草作業の際堤防に異常があれば、同作業を実施した業者からその報告を受け、さらに同作業の検査時にこれを確認できたから、この堤防の除草作業も実質的に堤防の点検の効果を伴うものであつたこと、さらに、出水時においては、水防の万全を期するため、堤防その他の河川管理施設の異常な状況の早期発見等を目的として、特別の動員態勢のもとに河川巡視が行われたこと、ところで、河川巡視が以上のように実施されるようになる以前の昭和三大洪水当時においても、出水時における河川巡視が同様に実施されていたことはいうまでもないうえ、平常時における河川巡視も、河川改修工事の現場監督を行う際などに随時実施されていたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三) 本件堤防の被災状況及び損傷等の発生の有無

<証拠>及び建設省報告書によれば、本件堤防は、新堤築堤工事直後の、堤体が十分に安定するに至つていない数年の期間は別として、その後本件破堤に至るまで、昭和三大洪水を含め幾度かの洪水を経験してきたものであるが、それらの洪水により何らかの損傷が生じたことはなく、また堤防の被災を防ぐために水防作業を必要とする事態も生じたことはなかつたこと、なお、本件破堤当時、本件破堤箇所を含む上・下流七二〇メートル(新幹線橋梁下流から森部排水機場まで)の区間が、岐阜県水防計画における水防注意箇所の指定のうち漏水に関するCランクに指定されていたが、この水防注意箇所の指定は漏水等の各項目につきA・B・Cの三段階のランクで行われるもので、漏水に関するA及びBランクが過去に漏水の実績がある場合に指定されるのに対し、漏水に関するCランクは漏水の実績はないがその不安が考えられる箇所について指定されるものであるところ、本件破堤箇所を含む右の区間の指定については、過去に新幹線橋梁下流地点の、堤防法尻から約一〇メートル離れた箇所においていわゆるガマが発生したため、漏水の不安が考えられるとして指定が行われた際に、本件破堤箇所を含む付近一帯の指定があわせて行われたものにすぎないものであるから、本件破堤箇所について右水防注意箇所の指定がなされていることをもつて、本件破堤箇所が漏水の不安が考えられる箇所であることを示すものであるとはいえないのみならず、本件破堤箇所においては、本件破堤に至るまで漏水現象及びその不安を示す兆候は何ら確認されていないことが認められる。

なお、原告らは、本件堤防には本件破堤に至るまでに幾つかの損傷等が発生していたなど、本件堤防の管理上看過し難い事実があつた旨主張するが、これらの主張がいずれも採用できないことは以下順次述べるとおりである。

(1) まず、原告らは、本件堤防の裏法尻に接して堤内側に存した水田が徐々に沈下していつた旨主張し、国土研報告書には原告らの右主張に沿う記載部分がある。しかしながら、右水田は堤防の一部を構成するものではなく、堤防の外に存在するものであるから、仮に右水田が沈下した事実があるとしても、それをもつて堤防自体に損傷が生じたということはできないうえ、国土研報告書がその立論の根拠としたと推定される後記証拠からは、以下に述べるとおり、水田沈下の事実はこれを認めるに足りないというべきである。すなわち、<証拠>(昭和三六年の航空写真)によれば、昭和三六年五月当時、本件堤防の裏法尻に接して幅三ないし四メートルの水田が存したことは明らかであるところ、<証拠>(昭和五〇年の航空写真)によれば、同五〇年九月当時、ほぼ右水田に該当する部分には葦が生育しており、また<証拠>によれば、同年一二月当時、右葦の生育する部分の地盤の一部は水面下にあつたことが認められるけれども、丸池の水位が一定しているものではない以上、右事実のみからでは右水田部分が沈下したことを推認できない。また、<証拠>によれば、水谷光夫及び坂隆治は昭和四一年から三年間位、右水田を使用していた者であり、当庁昭和五二年(ワ)第三一七号、同五四年(ワ)第四五三号損害賠償請求事件(以下別件という。)において証人又は原告本人として右耕作の状況につき供述していることが認められるところ、同人らの供述はいずれも簡略に過ぎ、相互に矛盾する部分もあるため、その意味するところは必ずしも明確ではないが、同人らは右水田の水位が高くなりすぎたため、結局三年間位で右水田の使用を中止してしまつた旨供述しているにすぎず、他方、通常水田の水位は周辺土地及び用水の利用方法の変化により影響を受けるものであるところ、同人らの右各供述からもそのような事情の存在が窺われないでもなく、したがつて水田の水位が高くなつたからといつて、このことから直ちに右水田が沈下したことを推認し得ないといわざるを得ない。さらに、仮に右水田が徐々に沈下していつたものとすれば、これに伴い本件堤防裏法尻部などに亀裂等が発生するものと考えられるが、かかる事実を認めるに足りる証拠もないから、国土研報告書中の右記載部分は、結局のところ、採用できないというほかはない。そして、他に原告らの前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) 次に、原告らは、昭和四八年ころ、本件堤防表法尻付近に陥没が発生し、これが拡大しながら本件破堤に至るまで存在していた旨主張し<証拠>及び国土研報告書には右主張に沿う各記載部分がある。しかしながら、<証拠>によれば、昭和四八年から同五〇年まで本件堤防の除草作業に従事した安田慶郎は、右除草作業の際、本件堤防表法尻付近に原告ら主張のような陥没は存在しなかつたことを現認していることが認められ、また、<証拠>によれば、昭和五〇年の航空写真を精密図化機と簡易実体鏡とを用いて判読した結果、本件堤防の表法尻付近に原告ら主張のような陥没は認められない結果となつたことが認められ、以上の事実に照らし、<証拠>及び国土研報告書の前記各記載部分は採用できず、他に原告らの前記主張を認めるに足りる証拠はない。

(3) さらに、原告らは、昭和三四年の伊勢湾台風による長良川の増水時以降、本件破堤箇所の丸池内及び堤外側の畑にガマが発生した旨主張する。しかしながら、丸池内にガマが生じたからといつて堤防そのものに損傷が生じていたとはいえないうえ、三木意見書によれば、ガマは洪水時に堤内地盤に見られる局所的な水の自噴にすぎないのであつて、自噴水が浸出口付近の土砂を局所的に流出されることはあつても、その深さや広さも限定されているため、堤防裏法尻付近にガマが生じたからといつて、それだけでは直ちに堤防が危険な状態となるものではないことが認められる。そのうえ、<証拠>(富田初次の別件証言調書)及び国土研報告書中には、昭和三四年の伊勢湾台風時に、本件堤防裏法尻付近においてガマが噴き上げていた旨の記載部分があるところ、右富田初次の供述内容は、ガマの発生場所についてあいまいであるうえ、右供述によつてもはたして同人の目撃したものがガマであつたのかについて疑念が存するものであること及び前掲乙第四五号証の一、二に照らし、甲第一二一号証中右記載部分は採用できず、また富田初次の同旨の供述をその根拠としていると思料される国土研報告書の前記記載部分も、結局のところ採用できないこととなる。そして、他に原告らの前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(4) また、この点に関連して、原告らは、昭和三〇年代に揖斐川以東水害予防組合委員長富田初次が、木曽川上流工事事務所等に対し、丸池、薬師池、中須川締切部の三か所について、大きなガマが出て特に危険であり、地元住民も非常に不安がつているので、堤防増強をしてほしい旨陳情したところ、薬師池は昭和四七年に全部埋め立てられた旨主張する。

しかしながら、<証拠>によれば、昭和三七年及び同四二年に揖斐川以東水害予防組合が陳情書を作成していることが認められるが、その内容は、同組合の管轄区域内の長良川右岸及び揖斐川左岸の堤防を全般的に補強してほしい旨の内容であるにすぎないから、右事実をもつて、原告ら主張のような内容の陳情がなされたものとは認められないし、<証拠>中の、同組合委員長富田初次が、口頭で、木曽川上流工事事務所及び同長良川第二出張所に対し、原告ら主張のような内容の陳情をなした旨の記載部分は、前記事実並びに<証拠>に照らし、採用し難いといわざるを得ない。また、昭和四七年に薬師池が埋め立てられたことは被告も認めるところであるが、右埋立ての理由又はこれに至る経緯などを認めるに足りる証拠はないから、右埋立ての事実から原告ら主張のような陳情がなされたことを推認することはできないものである。そして、他に原告ら主張のような陳情がなされたことを認めるに足りる証拠はない。

4本件堤防の強度

(一) 構造令から見た本件堤防

(1) 上記認定事実を前提とし、かつ、堤防の構造について河川管理上必要とされる一般的技術的基準を定めている構造令の各規定を手掛りとして、本件破堤当時の本件堤防の強度について考えてみる(なお、構造令は構造令施行後に堤防を増改築する際の構造について一般的技術的基準を定めたものであつて、構造令施行当時存在した堤防について構造令に適合するよう直ちに改修することを命じているものでないことは、構造令付則二項が、構造令施行の際の既存施設のうち構造令に適合しない施設については構造令の規定は適用しない旨規定していることから明らかであり、したがつて、構造令の各規定が、直ちに既存施設である本件堤防に関する瑕疵判定基準となり得るものでないことはいうまでもない。)。

ア 構造令二〇条は、堤防の高さは、計画高水位に、計画高水流量に応じて定められた値(計画高水流量が毎秒5000立方メートル以上1万立方メートル未満の場合は1.5メートル)を加えた値以上とする旨規定しているところ、本件堤防の高さはTP12.8メートルで、計画高水流量は毎秒7500立方メートルであり、計画高水位TP10.69メートルより約2メートル高かつたのであるから、右規定に照らしても十分な高さを有していた。

イ 構造令二一条は、堤防の天端幅は、計画高水流量に応じて定められた値(計画高水流量が毎秒五〇〇〇立方メートル以上一万立方メートル未満の場合は六メートル)以上とする旨規定しているところ、本件天端幅は七メートル以上であつたから、右規定に照らしても十分な幅を有していた。

ウ 構造令二三条は、盛土による堤防の法勾配は五〇パーセント以下とする旨規定しているところ、本件堤防の法勾配は、図32から明らかなとおり、裏法肩から裏小段までの裏法面の一部を除くほかは右規定に適合しており、右裏法面の一部の法勾配も五〇パーセントをやや上回るものにすぎないから、これも右規定にほぼ適合していると見られなくもない。

しかしながら、「解説・河川管理施設等構造令」(河川管理施設等構造令研究会編、社団法人日本河川協会編・発行、山海堂、以下「解説構造令」という。)及び「河川砂防技術基準計画編」によれば、右規定は、土堤が河川水の浸透作用及び降雨による浸透作用に対し安定した法面を備えるための最低基準を定めたものであるから、当該河川の特性に応じて適切な法勾配を決定すべきものであり、特に大河川では過去の災害等の経験を十分に踏まえて、必要に応じて法勾配を緩やかにするなど運用上特別の配慮がなされているのが通例である(第二小段から下を一対三(三三パーセント強)以下とする場合が多い。)とされているところからすれば、長良川のように災害の多い大河川においては堤防の法勾配が構造令二三条に定める最低基準を充足しただけではそれが十分なものであつたと評価することは困難であるといわなければならない。現に、木曽川水系工事実施基本計画においては、本件堤防の法勾配を、表法肩から表小段までは一対二(五〇パーセント)、表小段から表法尻までは一対三(三三パーセント強)、裏法肩から裏法面の第一小段までは一対二(五〇パーセント)、第一小段から第二小段まで及び第二小段から裏法尻まではいずれも1対2.5(40パーセント)と定めていたことは、前記第二の三のとおりである。したがつて、本件堤防の法勾配は、同計画に照らしてみても表小段から表法尻まで及び裏小段から裏法尻までの部位において同計画の定める法勾配には適合しないものであつた。

エ 構造令二三条は、堤防の安定を図るため必要がある場合においては、その中腹に小段を設けるものとし、その幅は三メートル以上とする旨規定しており、小段の設置の具体的基準については定めていないところ、<証拠>並びに「解説構造令」及び「河川砂防技術基準計画編」によれば、小段は、川表にあつては堤防直高が六メートル以上の場合には天端から三ないし五メートル下りるごとに、川裏にあつては堤防直高が四メートル以上の場合には天端から二メートルないし三メートル下りるごとに設けることを標準とするものとされていることが認められる。また、木曽川水系工事実施基本計画においても、表小段を一段、裏小段を二段とすると定めていたことは前記第二の三のとおりである。

本件堤防の小段の状況は図32のとおりであり、右の標準及び木曽川水系工事実施基本計画からすると裏小段が一段不足するものであつた。

オ 構造令二四条は、堤防の安全を図るため必要がある場合などにおいては、堤防の裏側の脚部に側帯を設けるものとする旨規定し、これを受けて、構造令施行規則一四条は、旧川の締切箇所、漏水箇所その他堤防の安定を図るため必要な箇所に第一種側帯を設けるものとし、その幅は、一級河川の指定区間外(建設省直轄管理区間)においては五メートル以上とする旨規定しており、なお、「構造令及び同令施行規則の運用について」(昭和五二年二月一日水政課長治水課長通達)は、第一種側帯については、原則として、側帯設置箇所の地盤条件等を考慮して、個別に必要な構造を決定するものとするが、その幅は、一級河川の指定区間外において五メートル以上一〇メートル以下を標準とするものとし、なお旧川の締切箇所及び著しい漏水箇所においては、堤防又は地盤の土質条件等を考慮して右の値にかかわらず適切な幅とするものとする旨定めている。そして、「解説構造令」によれば、第一種側帯の幅の決定についての運用上の指針として、一級河川の指定区間外については、旧川の締切箇所、特に著しい漏水箇所等堤防又は地盤の土質条件の劣悪な場合は、一〇ないし二〇メートル又は当該地点の定規断面における堤防敷幅の二〇ないし三〇パーセントの長さとし、その他の場合は五ないし一〇メートルとするとされていることが認められる。

本件堤防については、仮に第一種側帯を設ける必要のある箇所であつたとしても、前記2(二)のとおり、本件堤防裏法尻部分には少なくとも堤防敷端から約六ないし約八メートルの幅の水深一メートル以下の、傾斜の緩やかな浅い丸池池底部分が存し、これが実質的に第一種側帯の機能を有したものと考えられるうえ、前記2(一)のとおり、本件堤防裏法尻部分には幅約六メートルの犬走りも存したのであつて、この犬走りの機能は第一種側帯の機能と同様であると考えられるものであるから、右各規定及び運用上の指針に照らし、特に不十分な点があつたとはいい難い。

(2) 以上のとおり、本件堤防は、構造令に照らし、高さの点については十分にこれに適合しているものの、断面の点については法勾配、小段の点などに適合しない部分も存するが、その程度は著しいとはいえないものであるから、本件堤防は、計画高水位以下の流水の通常の作用のうち水位に対する関係では構造令の予定する強度をほぼ備えていたものと認められる。

他方、「解説構造令」及び「河川砂防技術基準計画編」によれば、堤防法面の勾配、小段の有無及び数は河川水の浸透作用及び降雨による浸透作用に対する安全性に対して重要な影響を及ぼすものであることが認められるところ、本件堤防は未完成堤防であつて法勾配及び裏小段の数の点において構造令及び木曽川水系工事実施基本計画に適合しているとはいえないのであるから、この点から見る限り、計画高水位以下の流水の通常の作用のうち水位以外の作用、特に河川水の浸透作用及び降雨による浸透作用に対しては構造令及び木曽川水系工事実施基本計画の予定する強度を備えていたとはいい難いものであつた。

(二) 洪水歴から見た本件堤防

<証拠>により認められる事実と、前記二2(3)及び三2に認定した事実を総合すると、昭和二八年以降において最大の規模であり、かつ、本件堤防の築堤後からみても最大の規模であると思料される昭和三大洪水は、いずれも当時の計画高水流量(毎秒四五〇〇立方メートル)を大きく上回るものであつた(忠節地点のピーク流量は昭和三四年九月洪水時毎秒約五六〇〇立方メートル 昭和三五年八月洪水時毎秒約六七〇〇立方メートル、昭和三六年六月洪水時毎秒約六三〇〇立方メートル)うえ、そのうち昭和三五年八月洪水、昭和三六年六月洪水は本件破堤箇所において現在の計画高水位をさえ上回つていたとみられるものであつたところ、昭和三大洪水時において長良川堤防の各所に漏水、のり漏れ等の堤防の損傷が発生したが、本件破堤箇所では漏水、堤防の損傷は発生しなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、本件堤防は、これが実際に流下させた昭和三大洪水程度の規模の洪水の作用に対しては十分な強度を有していたものといえるところ、その後本件堤防が弱体化したことを認めるに足りる証拠のない本件においては、本件破堤時においても本件堤防は右と同程度の強度を有していたものと推認できる。のみならず、前記三2に認定した事実に後記五1(一)に認定した事実を総合すると、本件洪水は、昭和五一年九月九日から同年九月一二日までの間に発生した四波からなる長時間洪水であるが、このうち第一波、第三波及び第四波の各洪水はいずれも本件破堤箇所で計画高水位に迫る大洪水であるうえ、いずれも、昭和三四年九月洪水及び昭和三五年八月洪水のそれぞれにほぼ匹敵する洪水であり、また第二波までの洪水は、長良川における長時間洪水といわれた昭和三六年六月洪水に匹敵する洪水であつたところ、第三波の洪水時までに長良川堤防の各所で漏水や堤防の損傷が発生したにもかかわらず、本件破堤箇所では漏水や堤防の損傷は全く発生しなかつたことが認められるから、本件堤防は本件破堤時においても昭和三大洪水の規模の作用に対してはこれに耐え得る十分な強度を有していたものと認められる。

(三) 本件堤防の強度

右に認定したところによれば、本件堤防は、木曽川水系工事実施基本計画に基づく改修の完了していない未完成堤防で、特にその堤体幅が不足するものであり、河川の水位(越流作用)に対しては同計画及び構造令の予定する強度をほぼ備えているなど総体的に見て完成度の高い堤防であつたとはいえ、右未改修の点が河川水及び降雨の浸透作用に対する関係ではそれらの作用に対する安全性に重要な影響を及ぼすものであつたことから、現に本件堤防が有していた強度は、木曽川水系工事実施基本計画において予定された強度に比べ、右浸透作用に対する関係ではこれを下回つていたといえる。しかしながら、我が国の河川管理の現況は、工事実施基本計画に基づき、専ら短期集中型の洪水(その洪水継続時間は二日程度と考えられる。)を対象として河川の改修が進められているものの、これを直ちに達成できないため、大河川においては中間目標として戦後最大洪水を対象に整備を進めている段階にあり、しかもその整備率は昭和五六年度末においてさえ六割に達しておらず、昭和五一年当時においてはより低い状況にあつたのであることは、前記第二の二1(三)で認定したとおりであり、これを長良川についてみると、長良川においては、中間目標として具体的には昭和三大洪水を、そのなかでも昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な対象洪水として整備が進められている段階にある(ただし、その完成までには直轄管理区間だけでも今後二〇〇〇億円の費用が必要とされていることは前記二2(二)(4)のとおりである。)ところ、本件堤防は、築堤後五〇年にわたり何ら損傷が発生しておらず、その間、戦後最大洪水である昭和三大洪水を始めとして多くの洪水を無事流下させてきた実績を有するうえ、本件洪水時においても、破堤時まで四波の洪水のうち第三波までに、既に、洪水継続時間は五〇時間を超え、昭和三大洪水の規模を上回つており、かつ、長良川堤防の各所で漏水や堤防の損傷が発生していたにもかかわらず、本件堤防には何ら損傷が発生していなかつたことからすれば、本件堤防は、少なくとも昭和三大洪水程度の規模の洪水の作用に対しては十分な強度を有していたということができるのであるから、本件堤防は前記中間目標の予定した強度は十分に具備していたというを妨げない。

また、土堤にあつては、堤体及び基礎地盤に破堤につながるような弱点があれば、特に洪水時などにその兆候が現われることが経験的に知られており、そのため洪水時に何ら損傷等の発生しなかつた堤防については特段の補強措置を講じる必要がないとの考えで堤防の管理が行われているところ、本件堤防には、築堤後本件破堤に至るまで、昭和三大洪水時を含め、堤体及び基礎地盤に弱点があることを示すような兆候は何ら現われていなかつたことは上記のとおりであるから、本件堤防が長良川の他の堤防と比較して緊急に改修を要する箇所であつたとも認められないというべきである。

五  本件破堤の状況とその原因

1本件破堤の状況

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 破堤時までの状況

(1) 昭和五一年九月八日昼ころ降り始めた雨は、同日夜半になつて第一波の強雨となり、同日午後八時から翌九日午前四時までの降雨量は、八幡(但し、気象庁雨量観測所地点、以下本項((一))において同じ。)で二四七ミリメートル、岐阜(同上)で二七五ミリメートルを記録するなど、長良川流域は山地部から平地部まで全域にわたり豪雨に見舞われた。このため、長良川の水位は急激に上昇し、墨俣地点では、九日午前四時には水防団の出動準備の基準となる警戒水位(4.0メートル、但し、墨俣地点の量水標の水位(〇点高TP4.22メートル)をいう。以下、TP表示のないものにつき同じ。)を上回り、その一時間後には水防団が出動すべき水位である出動水位(5.0メートル)を越え、同日午前八時五〇分には第一の水位のピークに達し、最高水位7.41メートルを示して計画高水位(9.94メートル)にわずか0.5メートルと迫る大洪水となつた(本項((一))においては、以下、水位を示す場合はいずれも墨俣地点の水位をいう。)。

そのため、長良川の堤防には各所に、法崩れ、漏水などが発生し、水防作業が行われたが、本件破堤箇所及びその付近には、法崩れ、漏水などは発生していなかつた。なお、長良川右岸沿いの堤内地の各所にガマが噴き始めた。

(2) 長良川の水位が出動水位まで減水した九日午後四時から翌一〇日午前一〇時にかけて、第二波の強雨があり、八幡で一二一ミリメートル、岐阜で五八ミリメートルの降雨量を記録したため、長良川の水位は警戒水位を下回ることなく、再び上昇し、一〇日午前六時ころ第二の水位のピークに達し、出動水位を上回る5.58メートルの水位を示した。

長良川の堤防には、新たな法崩れ、漏水などが各所に発生したが、本件破堤箇所及びその付近には何ら異常は認められなかつた。なお、同日午後一時四〇分ころ、長良川右岸沿いに発生したガマのうち三か所につき月の輪工法による応急措置が講じられたが、その他のガマは内水位が高いため処置できなかつた。

第二波の洪水は、その後減水して一〇日午後二時には警戒水位を下回り、さらに減水したが、同日午後九時から水位は再び上昇し始めた。なお、この間も局所的な強雨があつた。

(3) 翌一一日午前三時から同日午前一〇時にかけて第三波の強雨があり、八幡で一四四ミリメートル、岐阜で五六ミリメートルの降雨量を記録した。このため、水位は引き続き上昇し、同日午後二時には第三の水位のピークに達し、計画高水位に迫る7.16メートルの水位となつた。

長良川の堤防では、法崩れ、漏水がさらに広範囲に多く発生し、このうち、岐阜市日置江、鏡島地先などでは特に危険な状態となり、懸命の水防作業が実施されたが、本件破堤箇所及びその付近では、法崩れ、漏水など堤防の異常を示すものは何ら発生していなかつた。

(4) 同日午後三時から第四波の強雨が翌一二日午前八時まで続き、八幡で三四〇ミリメートル、岐阜で二一六ミリメートルの降雨量を記録する豪雨で、時間雨量三〇ないし四〇ミリメートルの強雨を伴うものであつた。水位も、出動水位を大幅に上回る状態のまま再び上昇し始め、同日午前五時に第四の水位のピークとなり、計画高水位に迫る7.14メートルの水位となつた。

長良川の各所では、水防団、沿川住民、自衛隊による必死の水防活動が行われたが、本件破堤箇所付近においても、一一日午後一一時ころ、森部輪中排水機場から三〇ないし五〇メートル上流の堤防表法肩から表法面にかけて一か所、同排水機場下流の堤防表法肩及び裏法肩に各一か所、法崩れ(雨水の水みちとなつてできるいわゆる雨裂)が発見され、杭打ち土のう積み工法により補強作業が行われた(同排水機場から上流の箇所の表法面に補強作業が行われたことは当事者間に争いがない。)。

さらに、一二日午前二時ころ、本件破堤箇所の上流側にある道路標識付近の堤防表法肩に、幅二、三メートル、深さ約1.5メートルの水面下に達する法崩れ(雨裂)が発見され、小型ダンプ二台の山土を入れて埋め、ビニールを覆つた上に杭打ち土のう積みをする応急修理がなされた(本件破堤箇所付近の堤防表法肩に雨裂が発見され、応急修理がなされたことは、当事者間に争いがない。)。

その後、同日午前六時三〇分ころ、それまで異常の認められなかつた本件提防の裏小段に亀裂が発見され、次のとおりの経過で破堤するに至つたが、破堤時の水位は約6.5メートルであつた(破堤時の水位の点は当事者間に争いがない。)。

(二) 破堤の経過

(1) 本件破堤箇所においては、長良川の水位は一二日午前五時ころ第四のピークに達し、計画高水位(TP10.69メートル)をわずかに下回るTP約10.39メートル(推定値)の水位を示した後、徐々に減水し始め、同日午前一〇時ころには約0.5メートル減水して、TP約9.92メートル(推定値)となつた。また、本件破堤箇所近くの雨量観測所(羽島市消防本部)では、同日午前四時から五時までの時間雨量23.5ミリメートル、同六時から九時までの三時間雨量五五ミリメートルの降雨があり、その後降雨がやんだことが記録されていることからすれば、本件破堤箇所における降雨状況も右とほぼ同様の傾向を示したものと推認される。

(2) 同日午前六時三〇分ころ、本件堤防裏小段に亀裂が発見された旨の通報が安八町役場にあり、直ちに現場に急行した水防団員が、約一メートルの高さの雑草をかき分けて亀裂の状況を調査したところ、一条の亀裂は裏小段中央の西側寄りに走つており、堤防が丸池と接する区間のうち上流側の部分では亀裂の幅は約二〇センチメートルあり、そのうえその部分には五〇センチメートルの落差を生じていたが、右亀裂は下流側へ行くに従い細くなり、遂には糸のような筋の状態になつて終つており、全体として南北約八〇メートルの長さ(丸池に対応する位置で、かつ丸池の堤防縦断方向の幅と同じ長さ)であつたこと、もう一条の亀裂は裏小段法肩から少し下がつた箇所に、南北二〇ないし三〇メートルの長さ(堤防が丸池と接する区間のうち上流側の位置)に走つており、その幅の大きい部分は前記の亀裂と同様の幅及び落差があつた。

(3) 同日午前七時半過ぎころ、建設省中部地方建設局木曽川上流工事事務所長良川第二出張所長堀敏男、安八町建設課長長坂博らが現場に到着し、亀裂幅の大きい部分を調査したところ、亀裂の深さは長さ二メートルのポールがほぼ入る状態であつた。同人らの協議により、亀裂の補修工法として押さえ盛土工法を実施することとなり、(この点は当事者間に争いがない。)、これを土木業者高田建設に依頼することが決定された。

(4) 同日午前七時五〇分ころ、亀裂の状態を知るため、坂建設課長の指示により、草刈機を用いて、水防団員及び付近住民(最終的には約二〇〇名)によつて裏法面の草刈が始められた。草刈は、亀裂から法尻の方へ五ないし六メートルの幅、七〇ないし八〇メートルの長さの範囲を、約一時間かけて実施された(以上のとおり草刈が実施されたことは当事者間に争いがない。)。

このころから、裏法面では雑草の根の切れる音がしており、この音は破堤まで続いていた。亀裂は裏小段より上の裏法面に拡大し、裏小段全体が五〇ないし六〇センチメートル沈下し、裏小段下の法面がやや膨らんだ状態となつていた。

(5) 同日午前九時ころ、草刈はほぼ終了したが、押さえ盛土として使用するため搬入を依頼した山土が届かないままに、草刈に引き続き、山土が到着した場合の準備作業を行うこととなり、草刈が終了したところから杭打ちが始められた。杭打ちは、2.3ないし2.4メートルの杭を、裏小段下の亀裂から法尻の方へ四メートル以上の間隔を置いて法面に二列打つもので、四、五人が一組となり、三〇キログラムのタコを使用して行われた(杭打ちが行われたことは当事者間に争いがない。)。堤防が丸池と接する区間のうち上流側の亀裂幅の大きい部分は、その下流の部分に比べ、法面が軟かく、杭打ちは早く進行した。

この間も亀裂は拡大を続け、亀裂から下の法面は沈下し、裏小段から上の法面も徐々に崩れていつた。同日午前一〇時ころには、亀裂の中に徐々に濁り水が溜つてきており、約五〇センチメートルの深さに泡が見えていた。裏小段全体も約一メートル沈下していたが、裏小段の表面は比較的固く、水が浸み出てくる状況は見られなかつた。

(6) 同日午前一〇時ころ、杭打ちが終わつたところから、杭に横木を添えて針金で連結する作業に入り、破堤まで続けられた(以上の作業がなされたことは当事者間に争いがない。)。

このころ、裏小段から下の法面が少しずつ沈下していき、一直線に打たれた杭の列が、堤防が丸池と接する区間のうち上流側の部分で丸池側に湾曲し、丸池の東側に堤防沿いに設置されていたトタン塀も同様に丸池側に湾曲していた。しかし、天端舗装面は沈下しておらず異常がなかつた。また、犬走り部分も固かつた。

なお、破堤直前に、亀裂の補修を行うため依頼したブルドーザーが到着したが、破堤が始まつたためそのまま引き返していつた(この点は当事者間に争いがない。)。

(7) 同日午前一〇時二八分ころ、杭と横木をつないでいた針金が連続的に切れ、犬走りから裏小段にかけて堤防法線と平行に法面全般に無数の亀裂が入り、丸池の東側に堤防沿いに設置されていたトタン塀が音を立てて弓なりに曲り、その丸池側で水しぶきが上がつた。以上のようにして、堤防が丸池と接する区間のうち上流側で、裏小段の付根を上端とするすべりが発生し(一次すべり)、崩落した土砂とともに同所で作業中であつた水防団員らも丸池方向へすべり落ち、その直後に天端表肩付近を上端とするすべりが発生し(二次すべり)、同時に天端舗装部及び同所に駐車してあつた消防自動車やトラックなども土砂の崩落とともに転落した(以上のうち、一次すべり及び二次すべりが発生したこと、そのため水防団員や自動車が落下したことは当事者間に争いがない。)。

(8) 土砂崩壊の後、表法面部分は断崖状となつて残つたが、数分後崩れかかつた表法肩から河川水が少しずつ溢水し始め、やがて本格的な破堤へ進展した(以上の事実は当事者間に争いがない。)。なお、裏小段下の法面は土塊のままで流入水に押し流された。

破堤口は次第に拡大して、最終的には天端の高さのところで約八〇メートル(この点は当事者間に争いがない。)、地盤の高さのところで約五〇メートルとなつた。

以上の事実が認められ、<反証排斥略>、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2本件破堤の原因

(一) 本件破堤の形態

本件破堤の原因を検討するため、まず、本件破堤の経過において生じた諸現象(前記1(二))等の事実に基づいて、本件破堤の形態について検討する。

<証拠>並びに建設省報告書によれば、以下の事実が認められる。すなわち、

(1) 一般に、洪水時において発生する堤防の破堤ないし損傷の形態としては、①越水、②洗掘、③残留水圧、④浸食、⑤漏水、⑥浸潤の各原因別に六形態が考えられるところ、このうち、①の越水とは、河川水が堤防からあふれることによつて、堤防天端や堤防裏法が洗い流され、次第に堤防断面が減少して全面的な破壊に至るものであるが、本件において、破堤時の長良川の水位は本件堤防天端より低かつたから、本件破堤の形態が越水によるものでないことは明らかであること、また、②の洗掘とは、洪水時に河川の湾曲部や水衝部の堤防が、河川の流水によつて、堤防表法面又は表法尻部から浸食を受け、これが原因となつて破堤に至るものであり、③の残留水圧とは、洪水時に提体内に河川水が浸透したのちに河川水位が急速に低下した場合、堤体内に残留する浸透水と河川水との間に水圧の差が発生することによつて、堤防表法面が崩壊するものであるが、本件において、破堤の契機となつた損傷は、本件堤防表法面ではなく、裏法面に発生したのであるから、本件破堤の形態は洗掘又は残留水圧によるものでもないこと、さらに、④の浸食とは、堤体上に降つた雨水が堤防法面を流れるときに、法面の土砂が流され、堤防の横断方向に溝状の亀裂(雨裂)が生ずるものであるが、本件において、本件堤防裏小段に発生した亀裂は、堤防の縦断方向に発生しており、その形態から雨裂といえるものでないことは明らかであるから、本件破堤の形態は浸食によるものでもないこと、

(2) 次に、⑤の漏水には堤体漏水と地盤漏水の二種類があり、このうちの堤体漏水とは、河川水が堤体内を浸透して堤防裏法面から流出するとき、土粒子が水とともに流出するため、堤防裏法面で法崩れ、陥没などが発生し、これが進行して破堤に至るものであるが、本件において、本件堤防裏法面に漏水現象はなかつたから、本件破堤が堤体漏水による破堤といえないことは明らかであること、またの地盤漏水とは、河川水が堤防基礎地盤の透水層を通つて、堤内側の堤防裏法尻部などに表土をつき破つて噴き出すとき、噴出口付近の地盤内の土粒子が水とともに流出するため、これが激しくなると噴出口付近の地盤がゆるむことになり、その結果として地盤上の堤防の安全性をもおびやかすこととなり、その箇所の堤防に沈下、亀裂などが発生し、破堤に至るものであること、なお、地盤漏水中地盤中に水脈があつてその水の流れによる場合をパイビング現象ともいい、地盤中にパイピングが発生した場合には、地下水脈の流れに沿つて堤防の横断方向に空洞が発達する場合があるといわれており、そのときには、空洞の大きさに対応して、堤防上に、堤防の横断方向に亀裂、溝状の陥没が生じ、破堤に至る(この場合の破堤をパイピングによる破堤ともいう。)ことが考えられるのであるが、本件においては、本件堤防裏小段に発生した亀裂の方向は、堤防の縦断方向に幅八〇メートルにわたるものであるから、本件破堤の主たる原因がパイピングであるとは考え難いこと(パイピングが本件破堤の従たる原因であるとの原告らの主張については後記(六)(2)で判断する。)

(3) ところで、⑥の浸潤とは、洪水時に河川水や雨水が堤体内へ浸透する結果堤体内の浸潤線が上昇し、浸潤が裏法部にまで及ぶと、裏法部が安定を失つて裏法面に法すべりが発生するものであるところ、この裏法すべりは、洪水及び降雨の程度、堤体及び基礎地盤の土質構造等の諸要因が複合して生ずるものであつて、その形態も様々であるが、相当程度の法すべりが発生すると、これによつて安定を失つた堤防が更に二次的なすべりを起こすなどして破堤に至るものであること、本件においては、破堤前に長時間洪水が継続しており、かつこの間に堤体上に多量の降雨があつたから、本件堤防では浸潤作用が相当進んでいたと考えられ、現に、本件堤防裏小段に発生した亀裂に濁り水が溜つてきていたことから、裏小段の近くまで浸潤線が上昇していたことが確認されているのであり、その浸潤線の上昇の程度は異常に高いといえるものであつたこと、さらに本件堤防裏法面に法すべり(一次すべり及び二次すべり)が発生したものであるから、以上の現象からみて、本件破堤の形態は浸潤による法すべりによるものと考えるのが合理的であること、なお、浸潤という作用のみで、本件における一次すべり及び二次すべりのような大きなすべりが一気に生じることはこれまての知見からでは考えられなかつたことであり、この点が本件破堤の形態の大きな特徴ではあるが、浸潤線が異常に高い位置にあつたことが、一次すべりの規模を大きくしたものと考えられ、さらに規模の大きな一次すべりが生じたことが、二次すべりの発生を早め、かつ、その規模を大きくした誘因の一つであると考えられること、

以上の事実が認められ、<反証排斥略>、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) 浸潤による破堤をもたらす諸要因

<証拠>、建設省報告書及び三木意見書によれば、浸潤による法すべりの発生機構は次のとおりであること、すなわち、一般に堤防法面のように地表面が傾斜している場合、土は自重によつて常に下方に移動しよとするせん断応力を有しているが、これに外力が加わるなどして、土中のある面でこのせん断応力がその面に関する土のせん断抵抗により大きくなると、その面を境として両側の部分に相対的な移動が生じ、土は安定性を失つて破壊することとなり、この破壊が、ある連続面に沿つて発生すると、その連続面で区切られた土塊が滑動を起こし、斜面が崩壊するに至るのであつて、このようにして堤防法面に法すべりが生ずることとなること、ところで、洪水時には、堤体上に降つた雨水が堤体内に浸透し、また、河川水が堤防表法面から、あるいは堤防基礎地盤を通つて下方から、堤体内に浸透するため、堤体の土粒子間の空隙が次第に飽和されて、浸潤線が上昇していくが、浸潤線の上昇は土のせん断抵抗を減少させるとともに土の重量を増加させるため、裏法部の浸潤線がある程度以上の高さになると、裏法面という斜面において、ある面でのせん断応力がせん断抵抗より大きくなることとなり、裏法面ですべりが発生するに至ること、以上の浸潤による法すべりの発生機構からすると、浸潤による法すべりを発生させる要因は浸潤線の上昇であり、右法すべりに影響を与える要因は堤防の安定であること、そして、この浸潤線の上昇に寄与する要因としては、堤体上へ降つた降雨の量及びその継続時間、河川水の水位と洪水の継続時間、堤体の土質構造、堤防基礎地盤の土質機構造等の各要因が挙げられ、また、堤防の安定に係る要因としては、堤防の形状及び堤体の土質構造、基礎地盤の土質構造等の各要因が挙げられること、以上の事実が認められる。

そこで、以下、右の諸要因を順次検討することによつて、本件破堤の原因を検討していくこととする。なお、右の検討にあたつては、建設省報告書における「破堤箇所における浸透流解析及び堤防の安定計算」(同報告書第八章の二)の記載部分(以下、解析結果ないし安定計算結果と略称する。)を、次のとおりの評価を加えたうえで、右認定の資料として採用することとする。すなわち、<証拠>(長良川破堤に関する検討報告書(補足説明書)、以下建設省報告書補足説明書という。)、<証拠>、建設省報告書及び三木意見書によれば、建設省報告書(同報告書補足説明書を含む。以下建設省報告書というときも同様である。)においては、浸潤による破堤の可能性について定量的検討を行うことを目的として、浸透流解析及び安定計算を実施したものであること、すなわち、本件堤防及び基礎地盤の形状及び土質、本件堤防の堤体上への降雨状況、本件破堤箇所の河川水位の変動状況等をそのまま解析等の条件として与え、まず、有限要素法による非定常浸透流解析によつて堤体力の浸透状態を求め、これをもとにして円弧すべり計算による堤防の安定計算により、堤防断面上の幾つかの円形のすべり面における安全率を求めたものであること、ところで、この安全率とは、すべり面上のせん断応力の和とすべり面上のせん断抵抗の和との比、すなわちすべろうとする力とすべりに抵抗する力との比を意味し、安全率が一であることはすべろうとする力とすべりに抵抗する力とがかろうじてつり合つている限界の状態を示し、安全率が一より小さいことはその想定したすべり面でこのつり合いが崩れ、すべりが生じうることを示し、かつ、安全率が小さいほどよりすべりやすいことを示すものであるから、右のとおり求めた安全率のうち最小安全率が一を下回るかどうかによつて浸潤による破堤の可能性を判定したものであること、さらに、このような浸透流解析や安定計算は、一般に、設計施工上、土質構造物の安定性についての一応の目安を得るために使用されるものであつて、技術上の制約から、現実の複雑な土質構造をありのままの状態で右の解析に反映させることができず、構造物の断面、土質条件及び各種定数等をモデル化、単純化せざるを得ないから、現実の構造物を解析した結果とは異ならざるを得ず、また右の各種定数の設定方法も未だ十全のものとはいえないなどの限界が存し、実際にも安定計算結果が現実と大きくくい違つた例が報告されていることから、建設省報告書の検討においても、解析結果値である安全率そのものの把握よりも、むしろ、浸潤による破堤に関係する諸要因がどのように安全率低下に対し影響を与えるかという寄与度や、ある条件を変えた場合の安全率低下度の違いなどの把握に主眼があるものであることが認められる。ところで、建設省報告書においては、本件堤防の内部構造等を単純化し、本件堤防断面のモデル図として、同報告書の図八―六及び八―七を作成したうえ、これを前提として、浸透流解析や安定計算を行つているものであるが、①本件堤防の堤体内に粘性土の旧堤部分が内包されていたことは後記(三)(1)のとおりであるのに、右各モデル図は右旧堤部分を無視しているに等しいものとなつている点で、右各モデル図の上においても堤防の内部構造についてかなり思い切つた単純化がなされていることが認められるうえ、本件堤防の断面形状は前記四2(一)、(二)に認定したとおりであり、また、本件堤防基礎地盤に難透水性層の不連続が存在した可能性のある範囲は後記(三)(1)ウに認定したとおりであるから、特に右各モデルにおける②本件堤防の堤内側丸池池底部分の形状及び③堤防基礎地盤内の難透水性層の不連続部分の大きさの点については、右各モデル図を作成するための前提事実の把握に誤りがあつたことが窺われるため、右各モデル図を用いた解析や安定計算によつて求められた安全率の値そのものは、その正確性に疑問があるといわざるを得ない。しかしながら、三木意見書によれば、浸透流解析や安定計算を事後的に破堤原因を究明するため用いる場合、詳細な事後調査を前提として、安全率一をすべりの境界値と考えたうえで解析を進めることは妥当な方法であること、建設省報告書において用いられている有限要素法や円弧すべり法については、手法そのものについての信頼性に問題はないと判断されること、建設省報告書において用いられている透水係数などの土質定数も妥当なものであると考えられることなどが認められるうえ、前記②の点は、<証拠>により、右のような単純化は技術的にやむを得ないと認められ、また、前記②、③の各点は仮に誤りがあつたとしてもさほど大きな誤りとはいえないところ、後記(三)において検討するとおり、前記①ないし③の点について右のような多少の違いがあつても、安定計算の結果に対しそれほど大きな影響を及ぼしていないとも考えられること、さらに、浸透流解析や安定計算にはそもそも前記のような限界が内在するものであることなどを考えあわせると、建設省報告書の解析結果及び安定計算結果は、これを他の資料と総合して慎重に検討したうえで、浸潤による破堤に関係する諸要因がどのように安全率低下に寄与したものであるかを定性的、相対的に判断する資料として用いることも許されるというべきである。

(三) 浸潤線の上昇に寄与する諸要因

(1) 右に述べたとおり、浸潤による破堤は堤体内部特に堤防裏法部の浸潤線の上昇を原因として発生するものであるところ、本件破堤前に本件堤防裏小段の近くまで浸潤線が上昇していたことが確認されていること、そして、このような浸潤線の上昇に寄与する原因としては、堤体上への降雨の量及びその継続時間、河川の水位と洪水の継続時間、堤体及び基礎地盤の土質構造等の各要因が挙げられることは前記(二)のとおりであるから、まず、右各要因について検討するに、本件破堤前に、本件堤防の堤体上に多量の、かつ長時間にわたる降雨があり、また、本件破堤箇所の長良川の水位も長時間にわたつて高い水位が継続したことは前記三及び五1のとおりである。

次に、本件堤防の堤体及び基礎地盤の土質構造について、特にこれらの土質が透水性であつたかどうかについて検討するに、<証拠>(大森地先地質調査別冊資料集、以下地質調査資料集という。)、<証拠>並びに建設省報告書、地質調査報告書によれば、本件破堤後、株式会社応用地質調査事務所が本件破堤箇所及びその周辺の地質調査を実施し、その結果をまとめた地質調査報告書、同資料集(以下、地質調査報告書というときは、地質調査資料集を含むものとする。)等に基づき、本件堤防の堤体及び基礎地盤の土質構造を推定すると、次のとおりであること、すなわち、

ア 本件堤防の堤体の土質は、上部(新堤部分)がシルト質細砂(透水性)で、下部(旧堤部分)がシルト質粘土(難透水性)であり、なお、旧堤は旧丸池に沿つて本件破堤箇所において堤外側に湾曲していたから、本件堤防の堤体内において旧堤部分は堤外側に偏在し(図7参照)、旧堤部分の高さはTP約9.3メートル程度であつたこと、

イ 本件破堤箇所の基礎地盤は、本件破堤時に洗掘されたため、丸池上流端から堤防縦断方向に幅約四〇メートルの範囲、すなわち地質調査報告書の付図である地質断面図(破堤後の地質調査の結果を総合して、本件破堤箇所及びその周辺の地質分布状況を、ナンバー三から一一の堤防横断方向の各断面について推定したもの。以下、単に地質断面図という。)のナンバー七及び八の各断面に該当する範囲(以下洗掘箇所という。)については破堤による流出部分の地質分布状況が不明であるが、その周辺の基礎地盤の地質分布状況は次のとおりであつたこと、すなわち、右周辺部分の地盤においては、おおむね、最下層に海成粘土層が分布し、その上に沖積層である砂質土層(透水性)が分布し、さらにその上に粘性土(難透水性)の表層(以下上部粘性土という。)が分布している構造となつており、堤防縦断方向における地質分布は比較的連続性が高いといえること、また、堤防の横断方向の地質分布をみると、堤内側と堤外側では上部粘性土の分布状況が異なつており、堤内側上部粘性土は層厚が四ないし五メートル程度で、層の下面の高さがおおむねTPマイナス一ないし二メートルより深い位置であるのに対し、堤外側上部粘性土は層厚が二ないし四メートルと薄く、層の下面の高さもTP二メートル程度の高い位置にあること、以上の上部粘性土の分布状況の違いは、堤外側の堆積環境がより自然堤防的堆積環境にあり、堤内側はより後背湿地的堆積環境にあつたことによるものであり、したがつて、堤内側上部粘性土と堤外側上部粘性土とは連続した地層ではないことが推定できること、しかしながら、右各粘性土は堤防表法面直下の位置で接合しており(ちなみに、堤内側上部粘性土が堤外側の砂層へと指交状に変化している地質断面図ナンバー九の断面においてすら、右粘性土の上部と堤外側粘性土と接合していることが確認されている。)、その接合部分に接してその上部には粘性土の旧堤部分が位置しているのであるから、洗掘箇所以外の本件破堤箇所及びその周辺の基礎地盤においては、旧堤部分を含めて考えると表層に難透水性層が連続していたものといえること、

ウ そこで、洗掘箇所の地質分布状況について検討すると、まず、洗掘後も残存した堤内側の地盤をみると、最も洗掘の激しかつた本件破堤箇所中央部に該当する地質断面図ナンバー七の断面においても、裏小段肩直下付近の位置までTPマイナス2.21メートルの高さに上部粘性土が残存していることが確認されており、破堤前はこれより堤外側に向つて上部粘性土が延びていたものと推定できること、他方、堤外側上部粘性土はその上・下流部と同様に表法面直下付近まで分布していたものと推定できるうえ、旧堤部分が堤外側粘性土に接して、TP約2.6メートルから上の高さに、少なくとも堤防裏法肩直下付近まで存していたものと推定できることから、右ナンバー七の断面において、堤防横断方向に、旧堤部分を含め表層の難透水性層が存在していたかどうか不明である範囲は平面的には狭い範囲に限られること、しかしながら、他方、洗掘箇所の堤内側上部粘性土の分布状況は、上・下流部に比べ、いわば凹んだ形で低い位置に分布している(特に地質断面図ナンバー七の断面においては、層の下面の高さがTPマイナス六メートル程度の深いところにまで達している。)点においてその上・下流部とは異なつており、堤外側上部粘性土と堤内側上部粘性土の位置が上下に食い違つていること、このことからすれば、洗掘箇所の堤内側粘性土と分布には特殊な要因が関与しているとも考えられること、

以上の事実が認められる。

そして、堤防の基礎地盤は、長良川流域におけるものをも含めて一般に、河川の付近に位置するため、過去における度々の流路の変遷、河川による堆積・洗掘作用等を受けた履歴のある地盤であることが多く、その地質、地層、層厚の不均質の程度が高い地盤であることは前記第二の二1(四)及び第三の二1、2に説示したところであるうえ、<証拠>並びに国土研報告書、建設省報告書及び鵜飼鑑定書を総合すると、本件破堤箇所のような自然堤防地域は河川の氾濫によつて形成されたものであるため、その地層は砂層と粘土層が複雑な成層状況を呈することが多く、地層が不連続であることがむしろ一般的であること、そのうえ、本件破堤箇所付近の地形は過去に破堤した経歴を有するいわゆる切所であることを疑わせるに足りる特徴を備え、その旨の伝承も存することが認められる。そうだとすれば、洗掘箇所の堤内側上部粘性土の分布の特殊性も、過去に砂質土層が破堤により洗掘されて凹みが形成された上に上部粘性土が堆積した結果であると合理的に解釈できるうえ、洗掘箇所については、過去の破堤の際の洗掘の結果により上部粘性土が存在しない可能性も想定できるものといわなければならない。そうすると、他に、洗掘箇所の表層に難透水性層が連続していたことを認めるに足りる証拠のない本件においては、その上・下流部の地質の分布状況のみから直ちに難透水性層が連続していたとは推定することは許されないものというべく、むしろ、上記認定の事実のもとにおいては、少なくとも洗掘箇所については難透水性層が連続していなかつたとの強い疑いが存するものとしなければならない。

(2) そこで、以上認定した各事実に基づき、本件において浸潤線が上昇した原因について検討することとし、まず、堤体上の降雨の浸透について考えるに、前掲甲第九二号証の二によれば、砂質ローム等からなる透水性の堤体上へ降雨があつた場合、雨水は堤体内を下向きに流れ、堤防基礎の不透水性の地盤に達するとそこにたまり、地下水を形成して自由水面をもつ流れとして法尻へ流出するため、降雨が続くにつれて、両法尻部が高く中央部が低い二つの山の形の浸潤線を形成し、法尻付近の土の強度を低下させるのであり、総雨量六〇〇ミリメートルを超えるような降雨があれば、全国どこの河川においても、堤防に法すべりを起こす可能性があるといえることが認められ、また、建設省報告書及び三木意見書によつても、堤体上の降雨が裏法部の浸潤線の上昇に寄与する割合は相当高いものであることが認められるのであるから、本件堤防上に破堤時までに六〇〇ミリメートルを超える降雨のあつた本件においては、堤体上の降雨は、浸潤線の上昇に大きく寄与したものと考えられる。さらに、建設省報告書の解析及び安定計算結果によれば、堤体上の降雨の影響を無視した場合には安全率は一を上回るのに、その影響を考慮すると安全率は一を下回り、本件堤防裏小段を通る法すべりが生じ得る結果となつており、このことは堤体上の降雨が浸潤線の上昇ひいては堤体の安定に大きな影響を及ぼすものであることを定性的に明らかにしているというべきであるから、このことと上記認定事実とを考えあわせると、本件堤防上に長時間かつ多量の降雨があつたことは、本件破堤の主要な原因の一つであつたと解することができる。

(3) 次に、河川水の堤防表法面からの浸透について考えるに、建設省報告書によれば、河川水の水位が上昇すると、時間の経過とともに堤体内の浸潤線は堤防の川表側から堤体中央部を経て、川裏側へ向けて徐々に上昇していくものであり、河川水の水位が高いほど、また洪水継続時間が長いほど浸潤線は高くなり、堤防裏法部において法すべりが発生する可能性も高くなるものであることが認められる。しかるに、本件においては、本件堤防の堤体内には堤外側に高さTP約9.3メートルの粘性土(難透水性層)の旧堤部分が存しており、前掲乙第一五号証によれば、本件破堤箇所において長良川の水位が右旧堤部分を越えたのは、前記三2の第一の水位のピーク時に二時間弱、第三の水位のピーク時に二時間余、第四の水位のピーク時に三時間弱、合計七時間弱という短時間にすぎないことが認められるうえ、建設省報告書の浸透流解析結果によれば、右旧堤部分の存在を無視するに等しい堤防断面モデル図を使用して浸透流解析を行つたものであるのに、河川水の堤防表法面からの浸透は、裏法部の浸潤線の上昇にはほとんど寄与していない結果となつていることが認められるのであるから、以上を総合すると、本件においては、堤防表法面からの河川水の浸透は堤体内部の浸潤線の上昇に寄与したとは考えられるが、その規模からみて、一次すべりの原因となつた裏法部の浸潤線の上昇にはほとんど寄与していないと推認するに難くない。

(4) さらに、河川水の堤防基礎地盤からの浸透について考えるに、三木意見書によれば、同意見書において、堤防の基礎地盤が①すべて透水性層である場合、②堤防裏法尻部から堤内側が難透水性層である場合、③すべて難透水性層である場合につき、河川水の地盤からの浸透状況を検討したところ、①の場合には地盤の浸透水は堤体内の浸潤線を押し上げることがないのに対し、②の場合には地盤からの浸透水が堤体内の浸潤線を押し上げるため最も浸潤線が高くなること、また③の場合には、地盤からの浸透水の押し上げはごくわずかであり裏法側の浸潤線が上昇するのに長時間を要すること、また②、③いずれの場合も洪水の継続時間が長いほど浸潤線が高くなること、以上の結果となつたことが認められ、また、建設省報告書によれば、地盤条件の異なる堤防の模型実験を実施したところ、堤防基礎地盤に難透水性層の不連続な部分が存する場合、不連続区間が長いほど浸潤線の上昇は早くなり、かつ、高い位置まで達する結果となつていることが認められる。そして本件において、本件堤防直下の基礎地盤に難透水性層の不連続な部分が存した可能性も否定できないところ、建設省報告書の解析及び安定計算結果によると、難透水性層が連続であると仮定した場合には安全率は一を上回るのに対し、難透水性層が不連続であると仮定した場合には安全率は一を下回り、本件堤防裏小段を通る法すべりが生じ得る結果となつていることが認められるのであつて、本件において、堤体上の降雨のみで堤防裏小段の位置にまで浸潤線が上昇したことを認めるに足りる証拠はなく、かつ、前記のとおり河川水の堤防表法面からの浸透による裏法部の浸潤線の上昇もほとんど無かつたと考えられ、さらに、このほかに右浸潤線の上昇に寄与する要因があつたことを認めるに足りる証拠もないことを考えあわせると、本件堤防の基礎地盤には難透水性層の不連続な部分が存し、その部分から浸透した河川水が堤体内の浸潤線の上昇に寄与したものと推認することは合理的であるというべきである。そうだとすれば、本件破堤箇所において長良川の水位が高く、かつ、これが長時間継続したこと及び本件堤防の基礎地盤に難透水性層の不連続な部分が存したことは、いずれも本件堤防裏法部の浸潤線の上昇に寄与した要因の一つであつて、本件破堤の原因の一つであると解することができる。

(5) 以上要するに、本件破堤時において浸潤線上昇に寄与した要因としては、まず第一に堤体上の降雨による雨水の浸透を挙げることができ、それに加えて高水位の洪水の継続による河川水の基礎地盤からの浸透を挙げることができ、更には堤防表法面からの河川水の浸透も堤体内部の浸潤線の上昇に関する限度でこれに寄与していたものと推認できるものといわなければならない。

原告らは、本件堤防が丸池と接していたため池水が堤体下部を常に浸潤する状態となつていたのであり、このことが本件洪水時において本件堤防内の浸潤線の上昇を早める結果となつた旨主張するが、原告らの援用する鵜飼鑑定書は浸潤線上昇の原因については何ら論及することがなく、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて、三木意見書に弁論の全趣旨を総合すると、平常時においては、丸池の水位と周辺地盤内の地下水の水位とはほぼ同程度で平衡していると考えられるので、丸池に接している本件堤防の堤体下部のみが浸潤していたとか、そこだけ浸潤面が高くなつていたとは認めることができず、また、堤体下部が地下水(池水)によつて浸潤されていたとしても、その水位以上に浸潤線を押し上げる力が働かないことは明らかであるから、丸池の存在が本件における浸潤線上昇現象の説明となり得るものではない。さらに、本件洪水時においては、丸池以外の堤内部分も内水によつて一面に冠水していたのであるから、丸池に池水が存在していたことが本件破堤時における右浸潤線上昇現象に特異的に寄与したといえるものでないことは明らかである。したがつて、原告らの右主張は採用することはできない。

(四) 堤防の安定に係る要因

ところで、建設省報告書の解析及び安定計算結果及び三木意見書によると、前記(三)で検討した結果本件破堤の原因と考えられる三要因、すなわち①多量の、かつ長時間の堤体上への降雨、②高水位のまま長時間継続した洪水、③堤防基礎地盤における難透水性層の不連続の存在の三要因が競合した場合、本件において発生した一次すべりと同規模のすべりが発生する可能性が認められる結果とはなつているけれども、本件破堤形態の特徴として一次すべり及び二次すべりのような大きなすべりが引き続いて一気に生じたことが挙げられることは前記(一)(3)のとおりであり、この点について更に他の要因が関与していたのではないかとの推測も成り立ち得るところである。

そこで、この点について更に検討するため、以下において堤防の安定性に係る、堤防の形状、堤体及び基礎地盤の土質構造等の各要因について順次検討することとする。

(一) まず、本件堤防の形状について考えるに、本件堤防の堤内側には丸池が存し、本件破堤がまさに丸池の存する地点で発生していることから、直観的に、丸池の存在が本件破堤の原因の一つではないかとの推測を抱かざるを得ない。しかしながら、三木意見書によれば、堤防裏法尻付近の地盤に池などの地盤の凹みがあると、池の分だけ比高差が増大するが、この場合においても直ちに堤防が危険になるものではなく、堤内の地盤の凹みを含めた堤防の形状が安定したものとなつているか否かが問題であること、このような地盤の凹みが堤防の安定に対してどの程度の影響を与えるかを詳細に明らかにするためには、問題となる箇所の断面形状、土質条件などの諸要素を検討し、個別に判断する必要があること、そこで、鵜飼鑑定書の堤防断面を用いて、池の水面下の斜面勾配を1対2、1対2.5、1対3と変化させた各断面について、断面形状以外の諸条件については建設省報告書のものを採用して安定計算を行つたところ、池の水面下の斜面勾配を一対二とした場合には、最小安全率0.85を示すすべり面が裏法尻付近に現われ、かつそのすべり面は池を通るものとなつているのに対し、1対2.5より緩やかな斜面勾配の場合には、池を通るような危険なすべり面は出現せず、池の存在は堤防の安定には全く関与しなくなるとの結果になつたことが認められる。右事実に基づき、本件について検討すると、丸池池底の形状は前記四2(二)のとおりで、丸池の水面下の斜面勾配が全体としてどの程度であつたかは明らかではないが、本件堤防敷端から幅約六ないし約八メートルの範囲に水深約一メートル未満の緩やかな傾斜面を有する部分が存在することからすれば、全体的にみて1対2.5よりはるかに緩やかな斜面勾配であつたと推認できるのであるから、丸池の存在によつて比高差が増大していたことが本件堤防の安定に対し影響を及ぼしていなかつたと解さざるを得ない。(本件破堤の主な原因が丸池の存在であつたとする原告らの主張が採用し難いものであることは、後記(五)において詳述する。)

(2) 次に、堤体の土質構造について考えるに、本件堤防の堤体内においては、粘性土の旧堤部分が堤外側に偏在し、その上に砂質土の新堤部分が乗るという構造(図7のとおり)となつていたことは前記(三)(1)のとおりであるところ、<証拠>及び鵜飼鑑定の結果によれば、右のような「粘性土の上に砂質土があり、かつその境界面の傾斜の方向が、地表の傾斜の方向と一致する」構造は、地質的に地すべりを起こしやすいとされている構造であることが認められ、さらに堤体内における旧堤部分の位置と一次すべり及び二次すべりの生じた位置とを比較検討すると、右のような本件堤防の堤体の土質構造は二次すべりの位置及び規模の決定に関与した要因の一つであつたと推認できる。

(3) さらに本件堤防の基礎地盤の土質構造について考えるに、地質調査報告書によれば、本件破堤箇所についてボーリング調査をした結果、本件堤防裏法尻付近直下に該当するボーリングナンバー一一、一三及び一五の各地点における上部粘性土について、右ナンバー一一の地点では、TPマイナス1.41メートルからマイナス・3.36メートルにシルト質粘土層があり、その相対稠度は「極軟」若しくは「軟」、N値は二若しくは三であること、ナンバー一三の地点では、TPマイナス2.02メートルからマイナス5.27メートルにシルト質粘土層、その下にTPマイナス6.02メートルまで砂質シルト層があり、右シルト質粘土層の相対稠度は「極軟」、N値は二であること、また、ナンバー一五の地点では、TPマイナス1.43メートルからマイナス3.58メートルにシルト質粘土層があり、その相対稠度は「軟」、N値は三であること、以上の事実が認められ、右事実に前記(三)(1)イ、ウの事実を総合すると、本件堤防の堤内側基礎地盤には、その表層にN値が二ないし三の上部粘性土(シルト質粘土層)が存在していたことが認められる。ところで、<証拠>並びに「河川砂防技術基準調査編」及び弁論の全趣旨によれば、河川堤防を築造する場合に問題となる地盤の一つに軟弱地盤があり、すなわち、軟弱地盤上に堤防を築造する場合、軟弱層の強度が小さいときには、築造時に堤防がすべり破壊によつて破壊したり、築造後堤防の重さによる軟弱層の圧密沈下によつて堤防が沈下したりする場合があること、さらに、軟弱地盤上の嵩上げ、腹付け工事によつても、堤防にすべりや沈下が生ずる場合があること、したがつて、軟弱地盤上にこれらの工事を実施する場合には、当該軟弱地盤の規模、強度等を正確に把握し、その地盤条件に適合した計画、設計、施工を行う心要があるため、軟弱地盤調査を実施する必要があること、そのため、「河川砂防技術調査編」においては、軟弱地盤の判定基準、すなわち軟弱地盤調査を実施する必要のある地盤であるかどうかを判定する基準が定められており、右基準によれば、粘土地盤の場合、標準貫入試験によるN値が三以下である地盤は軟弱地盤に該当するものとされていること、以上の事実が認められるところ、本件堤防の堤内側基礎地盤の上部粘性土のN値が二ないし三であることは前記認定のとおりであるから、右上部粘性土は右判定基準上の軟弱地盤に該当することは明らかである。

しかしながら、三木意見書及び弁論の全趣旨によれば、右基準上軟弱地盤に該当するということは、必ずしも、当該地盤が堤防の安定に対し破堤につながるような著しい影響を与えるなど軟弱な地盤であることを意味するわけではなく、河川工事を実施する際に、もし必要であればその対策を講じるため、軟弱地盤調査を実施する必要のある地盤として指定することに意味があるにすぎず、それが堤防の安定に悪影響を及ぼす程度のものであるかは軟弱地盤調査を待つ必要があると考えられるうえ、軟弱地盤調査が必要とされるのは、軟弱地盤の存在が築堤中又は築堤直後において堤防のすべり又は沈下の原因となる場合があるからであり、築堤後堤防の重さによる軟弱層の圧密化が進んで堤防が安定した後においては、それが堤防の安定性に悪影響を及ぼすことは少なく、また、N値が二ないし三の粘土地盤は、濃尾平野などの沖積平野においてはごく通常の硬さの粘性土であつて、本件破堤箇所付近においても特異なものではないことは後記(4)のとおりであつて、その強度も通常高さ一〇メートル程度の土堤を支持するに足りるものであることが認められる。そのうえ、本件において、右上部粘性土の存在が一次すべりの原因となつたものでないことは、前記(1)のとおりであり、二次すべり面が上部粘性土の層を通つたことを認めるに足りる証拠もないから、右上部粘性土の存在が本件破堤の原因であつたとは断定することができない。

(4) なお、原告らは、本件堤防基礎地盤には、旧丸池池底に該当する部分にいわゆるナメ泥などから構成される極軟土層が存し、その強度はほとんど無く、N値がゼロに近いものだつたのであると主張している。しかしながら、右主張は到底採用できないものであつて、その理由は以下に詳述するとおりである。

まず、旧丸池池底に該当する部分にいわゆるナメ泥などから構成される極軟土層が存したとの原告らの主張について考えるに、<証拠>によれば、旧丸池池底には、もとヘドロ状の泥(原告ら主張のいわゆるナメ泥)が存していたところ、新堤築堤工事の際旧丸池の一部を埋め立てるにあたり、このヘドロ状の泥を除去せず、そのまま埋立工事を行つたことが認められるが、ヘドロ状の泥は、その形状から、埋立工事の際埋立土(砂質土)が池岸から池底傾斜面に沿つて投下されたことにより、池の中央へ押し出されていつたとも考えられるのであるから、埋立工事の際ヘドロ状の泥が除去されなかつた事実から直ちに、このヘドロ状の泥がその場に層を成して本件破堤当時まで残存していたことを推認できないことは明らかである。また、国土研報告書及び<証拠>によれば、国土研報告書においては、旧丸池池底部分に該当するボーリングナンバー一一、一三及び一五の各地点に存するシルト質粘土層をもつて、旧丸池池底に特異的に堆積していたいわゆるナメ泥であると推定していること、その推定の根拠は、主に、右シルト質粘土層について、地質調査報告書は、そのN値が二ないし三で、相対稠度が「極軟」で、さらに異臭を発する旨の記述がなされていることであることが認められる。しかしながら、<証拠>、地質調査報告書及び三木意見書並びに証人三木五三郎の証言によれば、濃尾平野や関東平野などの沖積平野の地盤を形成する沖積層は、堆積の時代が新らしいため団結度が弱く、粘土、シルトは軟弱でN値は〇から五程度であつて、N値が二ないし三の粘性土は、沖積平野に広く分布している、ごく通常の硬さの粘性土であること、ちなみに、地質調査報告書においてN値が三以下であるとされている上部粘性土を図示すると図11の1のとおりで、旧丸池池底に該当する部分以外にも広範に分布しており、N値が三以下である粘性土は旧丸池池底に該当する部分に特異なものとはいえないこと、また、一般に粘性土の硬軟を表わすのにN値によつて六分類し、このうちN値がゼロから二を便宜的に「極軟」と呼ぶものであつて、地質調査報告書の相対稠度が「極軟」という記述も同様に解すべきであること、そして、地質調査報告書において相対稠度が「極軟」と記述されている上部粘性土を図示すると図11の2のとおりであつて、この点も旧丸池池底に該当する部分に特異なものとはいえないこと、したがつて、地質調査報告書において、相対稠度が「極軟」と記述されること及びN値が二ないし三であることから、当該シルト質粘土層をもつて、原告らが主張するように旧丸池に由来するいわゆるナメ泥であると推定することは到底できないこと、さらに、粘性土層が腐食物を挾んでいたり、それが原因で異臭を放つたことは、沖積層という比較的若い地質には通常よくみられる性状で、地質学的には特段珍らしいものとはいえないこと、ちなみに、地質調査報告書において、腐食物が混入しているとの記述がある上部粘性土を図示すると図11の3のとおりであつて、旧丸池池底に該当する部分以外にも広く分布していること、したがつて、地質調査報告書に異臭を発するとの記述があるからといつて、当該シルト質粘土層をもつて、原告ら主張のいわゆるナメ泥であると推定することはできないこと、以上の事実が認められるのであるから、前記国土研報告書のナメ泥に関する推定は地質調査報告書のボーリング調査結果を恣意的に解釈したか、又は地質調査に関する基本的な知見に誤解があるものであつて、これを認定の資料として採用することは到底できないといわざるを得ない。さらに、地質調査報告書によれば、ボーリング調査結果等により、ナンバー一一の地点においては本件破堤時の洗掘後も新堤築堤工事の際の埋立部分と考えられる地盤が残存していることが認められるが、右調査結果のみからでは、原告ら主張のいわゆるナメ泥が、TPマイナス1.41メートルから下に分布するシルト質粘土層若しくはその上部に該当するのか、シルト質粘土層の上に分布する粘土混り細砂層に該当するのか、あるいは当該地点にはいわゆるナメ泥は残存しなかつたのかを決定することはできないものである。そして、他に、原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

次に、原告らは、前記のとおり、ナンバー一一、一三及び一五の各地点の上部粘性土のN値が二ないし三であることについて、ナンバー一三及び一五の各地点では、本件破堤時の洗掘の結果、より強度の弱い極軟土の一部が流失してしまつたとも考えられること、及びボーリング調査時においては、右各地点の上部粘性土は破堤前の状態より大きな盛土荷重をうけていたため、より強度が増大し、N値も大きくなつていたと考えられることから、旧丸池池底に該当する部分にはN値がゼロに近い極軟土層が存在したと推認できると主張する。しかしながら、ナンバー一三及び一五の各地点では、本件破堤時の洗掘の結果、上部粘性土の上部が流失してしまつた可能性が存することは原告ら主張のとおりであるが、仮にこれが流失してしまつたとしても、その流失部分のN値がゼロに近いものであつたことを認めるに足りる証拠はなく、むしろ、上部粘性土にまで洗掘の及ばなかつたナンバー一一の地点の上部粘性土のN値が二であることに照らすと、ナンバー一三及び一五の各地点の流失した上部粘性土のN値も二ないし三であつた可能性が高いと考えられるものであり、また、地質調査報告書によれば、ナンバー一一、一三及び一五の各地点のボーリング調査は昭和五一年一二月一三日から一六日にかけて実施されたこと、その当時の盛土は、ナンバー一一の地点で厚さ1.55メートル(シルト質粘土層より上の新堤築堤工事による盛土とあわせると厚さ4.40メートル)、ナンバー一三の地点で厚さ5.45メートル、ナンバー一五の地点で厚さ4.80メートルであつたことが認められるところ、右各地点における新堤築堤工事による盛土高は明らかではないが、右ナンバー一一の地点の盛土高からみて三メートル程度以上の盛土は存在したと考えられ、したがつて、本件破堤前における右各地点の盛土の状態と、ボーリング調査時の盛土の状態とにそれほど顕著な差があつたとは認められないうえ、破堤後盛土されたときからボーリング調査までの期間が短期間であることを考えあわせると、ボーリング調査時において右各地点の上部粘性土が破堤前の状態より大きな盛土荷重を受けていたとは認め難いから、右各地点の上部粘性土の強度が本件破堤後における盛土による圧密によつて破堤前よりも増大していたとは直ちに推認し難いといわざるを得ない。したがつて、旧丸池池底に該当する部分にはN値がゼロに近い極軟土層が存在したと推認できるとの原告らの主張は、採用できないことが明らかである。

(五) 原告らの主張する破堤原因(丸池原因説)について

原告らは、本件堤防の堤内側に丸池が存在していたことが本件破堤の主たる原因となつたことを示すものとして請求原因第二の三2ないし6のとおりその根拠を主張したうえ、これらを総括して、本件堤防には丸池が存在したことにより、①丸池の深さの分だけ天端までの比高が周辺部の堤防より大きく破堤しやすい断面形状となつており、②周辺部の堤防と比べ、丸池の掘れている分だけ押さえ盛土の役割を果たすものがなく、堤体の滑動を助長しやすい構造となつており、③堤防裏法尻には護岸、土留めなどの堤脚保護工事が施されず、常時池水に接していたため、水面下にあつた堤防裏法尻部が浮力を受ける等の理由により堤体支持力の低下を招いていたこと、以上三つの欠陥が存在していたものであると主張する(請求原因第三の二1(二))。

そこで、まず、原告らが、本件破堤の主な原因が丸池の存在にあるとする根拠について検討すると、これらがいずれも到底採用できないものであることは、以下に詳述するとおりである。

(1) 原告らは、平面図形上の根拠として、本件破堤が丸池の幅一杯に発生した事実をあげ、また、断面図形上の根拠として、本件堤防が丸池池底から流失し去つた事実をあげ、いずれの事実も本件破堤と丸池の存在との因果関係を示していると主張し、鵜飼鑑定の結果中にも右主張に沿う部分がある。

しかしながら、破堤口幅や破堤後の地表面の形状は、破堤後の河川水の流入に伴う洗掘作用の結果によるものにすぎず、破堤時の形状をとどめているものではないから、仮に破堤口幅及び破堤後の地表面の形状が原告ら主張のとおりであるとしても、右事実から直ちに、本件破堤と丸池の存在との間に因果関係が存するとはいえないことは明らかである(なお、本件破堤が丸池の存在する地点で発生した事実は、丸池の存在が本件破堤に何らかの関与をしていたのではないかとの推測を抱かしめる事実であるとはいえるが、単なる推測であるにすぎず、この推測が正しいものであるかは前記(四)(1)のとおり詳細に検討した後に判断すべきものであることはいうまでもない。)。したがつて、鵜飼鑑定の結果中原告らの右主張に沿う部分は、明らかに失当であつて採用できないといわざるを得ない。そして、他に原告らの右主張を首肯するに足りる証拠はない。

(2) 次に、原告らは、周辺調査からの根拠として、勝賀大池の事例をあげ、堤防に接する池は破堤の危険につながるものであると主張し、鵜飼鑑定の結果中には右主張に沿う部分がある。

しかしながら、堤防に接して池(地盤の凹み)が存在する場合、池の分だけ比高差が増大するが、この場合においても直ちに堤防が危険になるものではなく、池を含めた堤防の形状が全体として安定したものとなつているか否かが問題であつて、これは問題となる箇所の断面形状、土質条件などの諸要素を検討し、個別に判断すべきものであることは前記(四)(1)に述べたとおりであるから、仮に、原告らの主張するとおり、勝賀大池の存する地点の堤防が池の存在により破堤の危険性を内在させていたものとしても、本件堤防の形状が丸池を含め安定したものとなつていたのかは、右勝賀大池の例とは別に具体的に検討しなければならないものであつて、右勝賀大池の例をもつてこの点についての判断資料となし得ないことはいうまでもない。

(3) 原告らは、土質力学上の根拠として、安定計算を行つた結果から、丸池の存在が堤防の安全率を大きく低下させていたこと、もし丸池を埋め戻しておけば破堤は免れていたことが明白となつた旨主張し、鵜飼鑑定の結果を援用する。

しかしながら、鵜飼鑑定の結果中この点に関する部分は、以下に述べるとおり採用できないものであるから、これを援用する原告らの主張は理由がないといわざるを得ない。

ア 鵜飼鑑定人の行つた安定計算の手法は、以下のとおりの問題があり、特に、その大前提となる堤体断面形状が誤りであるのみならず、現に成立し得ない不合理なものであるため、これに基づく安定計算結果は到底採用できないものである。

第一に、鵜飼鑑定人は本件堤防の堤体断面を図3の1のとおりであると想定しているが、丸池池底部分を含む本件堤防の断面形状は前記四2(一)、(二)に認定したとおりであるから、図3の1の堤体断面は誤りであり、特に丸池池底部分の形状は右認定と大きく異なるものとなつている。そのうえ、三木意見書によれば、鵜飼鑑定人の用いた堤体断面について平常時(非洪水時)における法面の安定性を検討することとし、浸潤線の位置については丸池平常時水位(TP3.75メートル)と同一とし、その他の条件については鵜飼鑑定書において示されている数値をそのまま用いて安定計算を行つたところ、犬走り部から丸池にかけて最小安全率0.85を示すすべり面が現われ、平常時においてもこの部分にすべりが発生する結果となつたこと、したがつて鵜飼鑑定人が用いた堤体断面は、同鑑定人の与えた条件下においても現に成立しない不合理なものと判断すべきものであることが認められる。

なお、原告らは、図3の1の堤体断面のうち丸池池底部分の形状を図3の2のABのとおりとも仮定し得るのであつて、その場合には丸池内の葦の生育状況とより適合するうえ、これに基づく安全率も図3の1の堤体断面に基づく安全率と大きく変わらない旨主張しているが、丸池池底の形状を図3の2のABのとおりとしても、前記四2(二)に認定した丸池池底部分の形状と大きく異なるものであるし、その場合の安全率が鵜飼鑑定人の行つた安定計算の結果と同一であることを認めるに足りる証拠はないから、本件において、丸池池底の形状を図3の2のABのとおりであるとして検討を進めることは無意味であると考えられる。

また、原告らは、三木意見書の、鵜飼鑑定人の用いた堤体断面においては平常時にもすべりが発生するとの指摘について、堤体砂質土の強度定数の値を妥当な範囲で変更して安定計算を行えば、平常時にすべりが発生しない結果となるから、三木意見書の右の指摘は誤りであると主張する。しかしながら、そもそも原告ら主張の堤体砂質土の強度定数の変更が本件の場合に許容限度内にあるか、また、原告主張のとおり変更をすれば、平常時においてすべりが発生しない結果となるかについてはこれを認めるに足りる証拠はないうえ、仮にそのような結果となるとしても、右のとおり変更した条件下において新たに安定計算を行い、検討し直したというのであれば格別、現に鵜飼鑑定人の行つた安定計算においては、図3の1の堤体断面は、同鑑定人の与えた条件下において現に成立しない不合理なものであるとの三木意見書の指摘が正しいものであることに変わりはないと解される。

第二に、鵜飼鑑定人は、本件破堤時における本件堤防の堤体内の浸潤線の位置を図4の1のとおりであると想定しているが、三木意見書によれば、一般に、浸潤線は、十分な浸潤時間を経過すれば、特に法尻部に透水性の低い層が存在するといつた特殊条件がない限り、表法側から裏法尻にかけて緩やかに傾斜していくのが普通であるところ、本件堤防裏法尻部は均質なシルト質の砂質土で構成されていたから、本件堤防の堤体内の浸潤線も表法面から緩やかな勾配になり、図4の1のように裏法尻付近で急に下がることはないと考えるのが合理的であり、かつ、浸潤線を右のとおり想定しても、堤体土の透水係数はそれほど大きいものではないから、浸潤線より下の法面に水が浸み出すとしても、極めてゆつくり微量の水が浸み出すだけであるので、堤体上に降雨のある場合には、これを現象として区別してとらえることは全く不可能であり、本件破堤時における堤防裏法面に水が浸み出してくる状況は全く見られなかつた(前記1(二)(5))という状況と何ら矛盾しないものであることが認められるのであるから、鵜飼鑑定人の浸潤線の設定には問題があるものと考えられる。

第三に、鵜飼鑑定人は、本件における一次すべり面の位置、形状について図5の1のとおりであると想定し、右すべり面の下端は同図のCD線上を通つたと想定しているが、以上のように想定したのは、同図のCD線上、すなわち旧丸池池底面にはいわゆるナメ泥などから構成される極軟土層が存し、その強度はほとんど無く、N値がゼロに近いものであつたとの事実を根拠としたものであるところ、右の根拠とした事実が認められないことは前記(四)(4)に述べたとおりであるから、鵜飼鑑定人の一次すべり面の設定にも問題があるものといわざるを得ない。

なお、鵜飼鑑定人は、鑑定書に関する補足説明書において、図3の1の堤体断面に基づき、浸潤線1ないし3の各場合について、すべり面の上端が図5の1のA点を通ると仮定して、最小安全率を示すすべり面を求めたところ、いずれの浸潤線の場合にも最小安全率を示すすべり面の下端は図5の1のCD線上を通る結果となつたから、本件における一次すべり面の下端は図5の1のCD線上を通るとの想定が正しいことが裏付けられたとしているが、図3の1の堤体断面が誤つているのみならず、現に成立し得ない不合理なものであることは既に述べたとおりであるから、このような堤体断面を前提とした安定計算の結果を援用することはできないといわざるを得ず、これをもつて図5の1のすべり面の形状が正しいものであるといえないことは明らかである。

イ さらに、鵜飼鑑定人は、同人の設定したすべり面(図5の1)についてのみ、丸池が存在する場合と丸池を埋め戻した場合の安全率を算出し、その比較から、丸池を埋め戻した場合には安全率は大きく向上し、破堤を免れたことが明らかとなつたとして、丸池の存在が本件破堤の原因であつたと結論づけている。

しかしながら、本件において、丸池の存在が本件破堤の原因であつたというためには、丸池を埋め戻しておけば、本件堤防は安定したものとなり、何らすべりは生じなかつたことを明らかにする必要があり、単に、同人の設定した一次すべりのすべり面においてすべりが発生しなくなることを明らかにしたのみでは足りないと解されるから、鵜飼鑑定人の行つた安定計算結果のみでは、丸池の存在が本件破堤の原因であるとの結論を導き出し得ないと解される。

ちなみに、三木意見書によれば、鵜飼鑑定人の設定した条件下において、丸池を埋め戻した場合の最小安全率を示すすべり面を求めたところ、浸潤線1(図4の1)の場合には、安全率1.0を示すすべり面が現われ、浸潤線2(図4の2)の場合には、安全率0.94を示すすべり面が現われたため、丸池を埋め戻しても別のすべり面ですべりを起こして破堤する可能性が高い結果となつたことが認められるのである(なお、原告らは、三木意見書の右の指摘に対して、安全率が1.0や0.94のすべり面であつても、必ずすべりが生じるとは限らず、また、これが破堤につながるとは限らないと反論しているが、ここでは、鵜飼鑑定人の安定計算結果のみからでは、丸池を埋め戻したとしても破堤を免れたとはいえないことを論じているのであつて、原告らの右反論は当を得ているとはいえない。)。

(4) さらに、原告らは、模型実験上の根拠として、模型実験の結果から堤防に接して池が存在する場合、破堤が生じることが定性的に立証されたと主張し、鵜飼鑑定書中には右主張に沿う記載部分がある。しかしながら、三木意見書によれば、一般に模型実験を行う場合には、実物と模型との間に単に幾何学的な縮尺による対応だけでなく、模型で発生した物理現象が実物でも発生するように力学上の条件を設定する必要があること、したがつて、模型実験において生じた破堤現象が実物の堤防にも同様に生ずることをいうためには、実際の法すべりに対して大きく関係している透水係数などの土質定数、降雨などの諸条件について力学上の相似律が与えられなければならないこと、ところが、鵜飼鑑定書に示されている模型実験については、その幾何学的縮尺と実験材料として現場の土を使用したことのみが明記されているにすぎず、右に述べた諸条件が全く明記されていないため、模型と実物との関係が明確でないから、この実験の結果を根拠として、直ちに実物の堤防についての挙動を説明することはできないものと考えられること、以上の事実が認められる。したがつて、鵜飼鑑定書中の模型実験に関する右記載部分は、本件破堤と丸池の存在との因果関係を判断する資料としては、これを定性的に判断する資料としてさえ、採用できないといわざるを得ない。そして、他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

以上のとおりであつて、原告らが、本件破堤の主たる原因が丸池の存在にあるとする根拠として述べる主張は、いずれも採用できないものである。

また、原告ら主張の前記①ないし③の欠陥について、本件破堤の原因となつたものであるかにつき検討すると、まず、前記①の、丸池の存在により本件堤防の比高差が大きくなり、破堤しやすい断面形状となつたとの点については、池の存在により比高差が増大しても直ちに堤防が危険になるものではないところ、本件においては、丸池の存在は本件堤防の安全には全く関与していなかつたと解すべきであることは前記(四)(1)に述べたとおりであるから、原告らの前記①の主張は採用できないことは明らかである。また、前記②の、丸池の存在により押さえ盛土の役割を果たすものがなかつたとの点については、丸池池底の形状は前記四2(二)に認定したとおりであり、少なくとも堤防敷端から約六ないし約八メートルの幅の水深一メートル以下の浅い部分が存していたものであるところ、この部分及び本件堤防の犬走り部分は実質的に第一種側帯の機能と同様の機能、すなわち押さえ盛土の機能を果たしていたものであり、しかも第一種側帯に関する規定及び運用上の指針に照らし、その機能上不十分な点があつたとはいえないことは前記四4(一)(1)オに述べたとおりであるから、原告らの前記②の主張も採用できない。さらに、前記③の、堤防裏法尻に堤脚保護工事が施されず、常時池水に接していたとの点については、原告らが右主張の前提として主張する丸池池底の形状が誤りであることは前記四2に述べたとおりであつて、本件堤防それ自体が常時池水に接していたものではないから、原告らの前記③の主張はその前提を欠き、失当であるといわざるを得ない。しかも、三木意見書によれば、池の水位と周辺地盤内の地下水位による浸潤線は、通常ほぼ同程度で平衡していると考えられるため、堤防裏法尻が常時池水に接しているからといつて、他の箇所に比べ堤防の安定に特に影響を与えるものとは考えられないものであることが認められるから、結局、原告らの前記③の主張は採用できないものである。

したがつて、本件破堤の主たる原因が丸池の存在にあるとする原告らの主張は、採用できない。

(六) 原告らの主張するその余の破堤原因論について

(1) 原告らは、新堤築堤工事の際、旧丸池池底に存したいわゆるナメ泥を除去しなかつたため、その上に新堤が乗る形となり、堤体特に水面下堤脚部を不安定ならしめる構造となつており、これが本件破堤に寄与した要因の一つであつたと主張するが、本件破堤時、本件堤防基礎地盤のうち旧丸池池底部分に、原告ら主張のいわゆるナメ泥などからなる極軟土層が存したとは認められないことは前記四(4)に述べたとおりであるから、原告らの右主張はその前提を欠き、失当であるというべきである。

また、原告らは、新堤築堤工事の際、築堤準備として十分な段切りをなさず、芝の除去もなされなかつたため、新旧両堤の接合が悪かつたことも、二次すべりを更に助長する要因となつた旨主張するうえ、新堤築堤工事においてはそのほかにも不備な点が存した旨主張している。しかしながら、新堤築堤工事の状況が仮に原告ら主張のとおりであつたとしても、このような事情は、築堤後しばらくの期間においては堤防の安定に関係する要因であるとも考えられなくはないが、本件のように築堤後既に四〇余年を経過した場合に、堤防の安定に対しどのような影響を残すものであるかについては明らかでないから、他に右影響の現存を認めるに足りる証拠のない本件においては、原告らの右主張は採用し難い。

(2) 原告らは、本件破堤時には丸池内にパイピングが発生していたと推定できると主張し、このパイピングが本件破堤を助長する一因となつたと主張している。そこで、まず本件破堤時に丸池内にパイピングが発生していたと推定できるかどうかについて検討するに、原告らは請求原因第二の三8(二)(1)ないし(4)に掲記の各事実から本件破堤時に丸池内にパイピングが発生していたことを推定できると主張しているところ、国土研報告書によれば、右各事実などから、同報告書図―31のとおりの状況で丸池内にパイピングが発生していたと推定していることが認められる。

しかしながら、他方、地質調査報告書及び三木意見書によれば、仮に本件破堤時において国土研報告書図―31のとおりの状況であつたとすれば、パイピングの出口に該当する箇所(同報告書では、パイピングの出口に該当する箇所を、堤防横断方向では堤防裏法肩から三五メートルの位置、また、堤防縦断方向では地質断面図ナンバー七の断面とナンバー八の断面との間の位置と推定している。)の地盤には相当大きな穴があいているはずであるのに、破堤後の地質調査の結果からは、国土研報告書にいうようなパイピングの痕跡(地盤の穴など)は全く見られないこと、すなわち、地質断面図ナンバー七及び八の各断面の地質分布状況をみると、堤防裏法肩から三五メートルの位置及びその付近には、厚さ約三ないし約四メートルに及ぶ厚い上部粘性土が、しかも整つた成層状態を示して拡がつているとされているうえ、地質調査報告書図9のスケッチ図によると、国土研報告書がパイピングの出口と推定する位置に該当する箇所には、右上部粘性土が本件破堤時の河川水の流入による洗掘作用にも抵抗して残存し、その姿を現わしているのであつて、そこには穴などのパイピングの出口の痕跡は全く見られないこと、したがつて、国土研報告書が推定する位置にはパイピングが存在したとは認められないこと、以上の事実が認められる。

したがつて、国土研報告書のうちパイピングの存在に関する前記記載部分は採用できない。

また、仮に原告らの主張する請求原因第二の三8(二)(1)ないし(4)に掲記の各事実がいずれも認められたとしても、右に認定した破堤後の地質調査の結果に照らして考えると、右各事実のみからでは本件破堤時に丸池内にパイピングが存在したことを推認できないといわざるを得ず、他に、本件破堤時に丸池内にパイピングが発生していたことを認めるに足りる証拠はない。以上のとおりであるから、パイピングが本件破堤を助長する一因となつたとの原告らの主張が採用できないことは明らかである。

(3) 原告らは、本件破堤前に、本件破堤箇所に生じた亀裂の補修として押さえ盛土工法を実施することとし、これを丸池内へも実施しようとしたが現実には丸池が存在したため不可能であつたから、丸池の存在は防災上の観点からも破堤の危険性を助長するものであつた旨主張する。

しかしながら、本件においては、前記1(二)に認定したとおり押さえ盛土として使用するための山土は本件破堤に至るまで本件破堤箇所に届けられず、そのため押さえ盛土工法を実施することができなかつたのであつて、そうである以上、仮に丸池内へも押さえ盛土工法を実施すれば本件破堤を免れることができた(この点を認めるに足りる証拠はない。)としても、丸池が存在するため丸池内に押さえ盛土工法を実施することが不可能であつたことと本件破堤との間には何ら因果関係が存在しないといえるから、原告らの右主張は採用できないことが明らかである。

3破堤に係る諸要因とその寄与度

以上認定したところによれば、本件破堤は、堤体上への多量の降雨と高水位の洪水が長時間にわたつて重なつた結果、これらによる浸透作用が異常に大きくなつたことが主たる原因となつて堤体内の浸潤が異常に進行したことにより生じた浸潤破堤であり、しかも、堤体内の浸潤線が異常に高くなつたことが一次すべりの規模を大きくし、規模の大きな一次すべりを生じたことが二次すべりの発生を早め、かつ、その規模を大きなものとした誘因の一つであると考えられるところ、本件破堤に係る従たる要因として、右の外力のほか、本件堤防の基礎地盤に難透水性層の不連続である部分が存在したことが堤体内の浸潤線の上昇に寄与したこと、本件堤防の堤体内においては、粘性土の旧堤防部分が堤外側に偏在し、その上に砂質土の新堤部分があり、かつその境界面の傾斜の方向が地表の傾斜の方向と一致するという本件堤防の堤体の土質構造も二次すべりの位置及び規模の決定に関与した要因の一つであつたのであるから、右及びの二つの要因の本件破堤に対する寄与度が問題となり得るところである。また、仮に、本件堤防の堤内側基礎地盤にN値が二ないし三の上部粘性土が存在したことが、本件破堤に何らかの影響を及ぼしていたとするならば、右上部粘性土の本件破堤に対する寄与度も問題となり得るといわなければならない。

そこで、本件堤防の堤体内部及びその基礎地盤に係る右ないしの諸要因の本件破堤に対する寄与度について考えてみる。まず、本件破堤の形態・経過、破堤の原因となつた外力の大きさ、一次すべりが発生しなければ二次すべりが生じ得なかつたことなど本件に現われた諸事情に基づいて考えると、本件破堤に対して支配的影響を与えたのは一次すべりの原因となつた諸要因であつて、二次すべりを早め、あるいはその規模を大きくすることに寄与した可能性のある諸要因(、)の本件破堤に対する影響の程度が高いとはいえないことは明らかである。そのうえ、堤体内部及びその基礎地盤にないしのような問題があつてそれが破堤につながるような程度の著しいものであれば、長年月の間にはその兆候が沈下、陥没、亀裂、法すべり等の形で堤体外部に現われるものであり、特に洪水時などにその兆候が集中的に現われることが経験的に知られていることは前記四3(一)のとおりであるところ、本件堤防には、本件破堤に至るまで昭和三大洪水時を含め、堤体及び基礎地盤にないしのような問題があることを示すような兆候は何ら現れていなかつたことは前記四3(三)のとおりであり、さらに本件洪水時においてさえ、破堤時まで四波の洪水のうち第三波までに、既に、洪水継続時間は五〇時間を超え、昭和三大洪水の規模を上回つており、かつ、長良川堤防の各所で堤防の損傷等が発生していたにもかかわらず、本件堤防には右のような兆候は何ら現れていなかつたことは前記1(一)のとおりであるから、本件堤防の堤体及び基礎地盤にないしの問題があつたことが、堤防の安定に対してそれほど悪影響を及ぼしていたものでないことは明らかである。さらに、これらの諸要因が本件破堤箇所に特異なものか否かについて検討するに、長良川流域における堤防の基礎地盤は、過去における度々の流路の変遷、河川による堆積・洗掘作用を受けた履歴のある地盤であることが多いうえ、本件破堤箇所のような自然堤防地域は河川の氾濫によつて形成されたものであるため、堤防基礎地盤の地層は不連続であることが一般的であることは、前記2(三)(1)のとおりであるから、の難透水性層の不連続がそれほど特異性のあるものではなかつたと考えられる。そして、河川堤防は嵩上げ、拡幅等の改修工事の積み重ねにより逐次形成されてきたものであり、その堤体内部構造が不均質であるのが一般的であることは前記第二の二1(四)のとおりであるうえ、「河川砂防技術基準計画編」によれば、改訂建設省河川砂防技術基準(案)計画編においては、堤防の形態に関し、河川水の作用に対する強度保持の見地から、「旧堤拡築の場合はできるだけ裏腹付とするものとするが、堤防法線の関連及び高水敷が広く河幅に余裕がある場合などは表腹付となつてもやむを得ない」旨定められていることが認められ、したがつて、河川改修の実務の上にあつては、旧堤部分が堤外側に偏在することはむしろ望ましいものとされ、かつ、そのように改修されている例が多いと考えられること、さらに、建設省報告書によれば、本件堤防の新堤部分の土である砂質ロームは、長良川だけでなく、木曽三川の堤防の築造ないし改修に多く使用されているものであることが認められ、以上の事実を総合すると、粘性土の旧堤の上に砂質土の新堤が乗り、かつ、その境界面の傾斜の方向が、地表面の傾斜の方向と一致するというの堤体内部構造も、それほど特異なものではなかつたと考えられる。次に、の要因も濃尾平野のような沖積平野においては一般に見られる現象であつて、本件破堤箇所に特異なものでないことは、前記2(四)(3)のとおりである。

以上を総合すると、本件破堤の主たる要因は前記の異常に大きな外力によるものであると考えられ、ないしの各点はむしろ堤防に本来的に存在する機能限界の相対的差異の通常の範囲内にとどまるものとも評価し得るものであつて、そうだとすると、これらのないしの各要因の本件破堤に対する寄与の程度はさしたるものではないといわざるを得ない。

六  河川管理の瑕疵の有無について

1以上認定の各事実に基づき前記一の判断基準に従つて本件における河川管理の瑕疵の有無について判断する。

上記認定事実を総合すると、(イ)長良川は流域の重要度が高く、大洪水による水害の危険性の高い河川であるため、古くから重点的に改修事業が進められ、全国水準を大きく上回る河川改修費が投入されてきたものであり、その河川管理施設の整備状況は我が国の河川管理の一般水準を上回るものであり、また、長良川と同種・同規模の河川と比較してもこれを下回るものではなかつたこと、(ロ)我が国の河川は、国土の特性から、急勾配で流路が短く、ひとたび豪雨があると短時間のうちに雨水が流出して洪水を起しやすいという地形条件下にあることから、我が国の洪水は、洪水の総流出量に比して最大流出量が大きく、短時間に大きな流量で高い水位の洪水が発生するが、その高水位継続時間は数時間から一、二日程度と短く、いわゆる一過性の洪水が多いという特徴があること、これに対応して、我が国においては、短期集中型の洪水に起因する流水の通常の作用の限度で安全であるように治水施設を整備する方針がとられているものであり、したがつて、計画高水位以上、以下であるかを問わず、その高水位の継続時間が異常に長いなど洪水(流水)の作用が通常性を超えるものについては当面防御の対象とはされていないこと、工事実施基本計画の計画規模を示す指標である計画降雨については、我が国における上記のような洪水特性に基づき、その継続時間を二日と定めるのが通例とされていることからすれば、工事実施基本計画上防御の対象とされている洪水の洪水継続時間もせいぜい二日程度のものと推認されること、これを長良川についてみると、昭和四四年三月策定にかかる木曽川水系工事実施基本計画は、短期集中型の洪水を防御の目標とし、その計画規模については、一級河川の主要区間における計画降雨の生起確率を一〇〇分の一から二〇〇分の一、計画降雨の継続時間を二日程度とする現在の水準を超えるものでないことが推認されるから、同計画における防御対象洪水の規模も、せいぜい右の規模の降雨によつて引き起こされる洪水であつてその洪水継続時間を二日とする程度のものであつたと考えられること、(ハ)そこで、我が国及び長良川における河川改修の現況についてみるに、工事実施基本計画は長期計画であつてその計画内容の実現には長年月を要するものであるため、大河川においては中間目標として戦後最大洪水を対象に整備を進めている段階にあり、長良川においても、新堤築堤後において同流域に生起した最大規模の洪水である昭和三大洪水、とりわけ昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な防御対象として従前から改修事業が実施されてきているところ、その完成までには直轄管理区間だけでも今後約二〇〇〇億円の費用と相当の期間が必要とされているというのが現況であること、(ニ)次に、本件降雨・洪水の規模、特に本件降雨・洪水の堤体に対する浸透作用の規模についてみると、本件降雨の規模は長良川流域における既往最大のものであつて、降雨量及び降雨継続時間のいずれの点からみても長良川における河川改修の当面の防御目標である昭和三大洪水時の規模をはるかに上回つているだけでなく、一級河川の主要区間についての工事実施基本計画における現在の水準(計画降雨の再現期間二〇〇年、その継続時間二日)すら大きく超えるものであつたのであり、その結果引き起こされた本件洪水は、九一時間(破堤時まで六七時間)の洪水継続時間を記録し、右時間が著しく長くなつた点において我が国における一般の洪水とは異なる特徴を有していたのであつて、これを昭和三大洪水と比較すると、昭和三大洪水規模の洪水が三つと中規模の洪水が引続いて来襲したことにも匹敵する、継続時間の長い洪水であつたうえ、一級河川の主要区間についての工事実施基本計画においては防御対象洪水の洪水継続時間が通常二日程度とされているのに対し、これをも上回るものであつたこと、したがつて、これらの点からすると、本件降雨・洪水が堤体に対して与えた浸透作用の程度は、そのいずれもが本件堤防の設計外力を上回るものであつたことは明らかであり、さらに本件においては、本件洪水による高水位かつ長時間の洪水と本件降雨による多量かつ長時間の堤体上への降雨が重なるという今までにあまり例を見ない現象を生じたため、浸透作用を更に大きくした点をも考慮すると、本件降雨・洪水の規模は、これが本件堤防に対して与えた浸透作用の点において、本件堤防の設計外力を大きく上回る、異常なものであつたといわざるを得ないこと、(ホ)本件破堤は、本件降雨・洪水による浸透作用(外力)が異常に大きかつたことが主たる原因となつて堤体内の浸潤が異常に進行したことにより生じた浸潤破堤であり、しかも、堤体内の浸潤線の位置が異常に高くなつたことが一次すべりの規模を大きくし、規模の大きな一次すべりを生じたことが二次すべりの発生を早め、かつ、その規模を大きなものとする誘因の一つとなつたものと考えられること、もつとも、本件破堤に係る要因としては、右の外力のほか、本件堤防の基礎地盤に難透水性層の不連続である部分が存したことが堤体内の浸潤線の上昇に寄与したこと、本件堤防の堤体内部の土質構造が二次すべりの位置及び規模の決定に関与したことの二点を挙げ得るところではあるが(そのうえ、堤内側の基礎に軟弱地盤が存したことが二次すべりの助長要因となつたとしても)、堤体内部構造及びその基礎地盤が不均質であることは土堤のいわば宿命ともいうべきものであつて、右ないしの各要因は本件破堤箇所に特異なものでなく、さらに、土堤にあつては、堤体及び基礎地盤に破堤につながるような弱点があれば、特に洪水時などにその兆候が現われることが経験的に知られているところ、本件堤防には、築堤後本件破堤に至るまで、昭和三大洪水時を含め、堤体及び基礎地盤に弱点があることを示すような兆候は何ら現われていないのであるから、本件破堤の生起機構を検討した結果判明した右ないしの要因をもつて、これを放置したことが河川の管理の瑕疵に該当すると解すべき重大な弱点であるとは到底いえず、むしろ堤防に本来的に存在する機能限界の相対的差異の通常の範囲内にとどまるものとも評価し得るものであること、(ヘ)本件堤防は、木曽川水系工事実施基本計画に基づく改修の完了していない未完成堤防で、特に堤体幅が不足していたため、河川水及び降雨の浸透作用に対する関係で、右計画の予定する強度を備えていなかつたことは明らかであるが、他方本件堤防は、築堤後本件洪水時に至るまで約四五年にわたり昭和三大洪水を始めとして多くの洪水を無事流下させてきた実績を有するうえ、本件洪水時においても、破堤時までの四波の洪水のうち第三波までに、既に、洪水継続時間は五〇時間を超え、昭和三大洪水の規模を上回る規模の洪水が襲来したにもかかわらず、堤体に何らの損傷を発生させることなく、これを流下させていたのであるから、本件堤防は、少なくとも、昭和三大洪水程度の規模の洪水の作用に対してはこれに耐え得る十分な強度を有していたものといえること、(ト)本件堤防は木曽川水系工事実施基本計画に基づく改修の完了していない未完成堤防ではあるが、長良川の他の堤防と比較してその改修状況が特に遅れていたとか、あるいは、河川管理者の怠慢によつて未改修のまま放置されていたことを認めるに足りる証拠はないこと、以上の各事実を認めることができる。そして、以上の事実に前記第二の二1(二)ないし(四)において認定した河川管理の特質及びそれに内在する諸制約その他本件に表われた諸般の事情を総合的に考慮すると、本件堤防は同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていたものと認められる。

原告らは、予備的主張その一において、本件堤防には丸池の存在等による欠陥ないし危険性が存したにもかかわらず、被告が本件破堤時まで右欠陥等を放置してきたことは被告の河川管理に瑕疵があつたといえる旨るる主張する。しかしながら、原告らがその前提として主張する破堤原因は前記(堤体内部の土質構造)の点を除きこれを認めるに足りないことは、前記四2及び五2において詳述したとおりであり、また、前記の点が河川管理の瑕疵に該当すると解すべき程度のものでないことは右に見たとおりであるから、原告らの右主張はいずれも失当というほかはない。

また、原告らは、予備的主張その二において、仮に本件堤防の堤体直下の地盤に前記の難透水性層の不連続が存在したとするならば、それを放置したことは被告の河川管理に瑕疵があつたといえると主張するが、本件の場合において原告ら主張の点が、河川管理の瑕疵に該当する程度のものと評価し得ないことは右に見たとおりであるから、右主張もまた失当である。

以上のとおりであるから、原告らの予備的主張は、結局いずれも理由がないものといわざるを得ない。

2なお、原告らが、工事実施基本計画に定めるとおりの河川改修が実現しているべきことを前提として本件における河川管理の瑕疵を論じていることからすると、原告らの予備的主張は、本件堤防につき工事実施基本計画に基づく改修が未了であつた点をもつて、河川管理の瑕疵とするものと解する余地もないとはいえないものであるから、以下この点について付言しておくこととする。

河川管理の瑕疵の有無は、前記一のとおり、当該河川が過去の水害の発生状況その他前記一の諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えているか否かの観点から判断されるべきものであり、既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、右計画が全体として右の見地からみて格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、右部分につき改修がいまだ行われていないとの一事をもつて河川管理に瑕疵があるとすることはできないと解すべきである(前掲最判昭和五九年一月二六日参照)。

これを本件についてみるに、木曽川水系工事実施基本計画に基づく長良川の改修計画が全体として格別不合理なものであると認めるに足りる証拠はなく、かつ、本件破堤箇所につき早期に改修工事を施行しなければならないような特段の事由が存することを認めるに足りる証拠もないのであつて、むしろ、本件堤防は、本件破堤に至るまで何らの損傷も発生していないことから、安定度の高く、特別の補強措置を講じる必要のない堤防であるとされていたことは前記四4(三)のとおりであるから、本件破堤箇所につき改修が未了であることをもつて、河川の管理に瑕疵があつたということができないことは明らかである。したがつて、原告らの予備的主張は、前記のように解しても、理由のないものといわざるを得ない。

第四  結論

以上のとおりであつて、原告らの河川の管理の瑕疵に関する主張はいずれも理由がないから、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも失当たるを免れない。

よつて、原告らの本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(渡辺剛男 松永眞明 筏津順子)

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